雲辺寺−徳島県池田市− |
秋ただにふこうなる今日も旅ゆく <山頭火> |
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四国88箇所第66番札所・雲辺寺は、四国山脈の山中、徳島県と香川県の県境に建つ寺である。標高927b。四国88箇所中、最も高所の寺である。本尊は千手観音。第65番札所三角寺から約33`bもある。
近年、ロープウエーが開通し遍路道を歩く者は少なくなったが、坂は「遍路ころがし」と称せられ焼山寺の遍路道と双璧の難所である。この険しさが「四国高野」と称せられ、学問修行の道場として雲辺寺が栄えた所以であろう。
雲辺寺はまた、阿波と讃岐を結ぶ六地蔵峠越えの要衝地にある。藩政時代には関所の役目もあったという。
杉の巨木が茂る清々しい境内をのんびりと散策させていただくのもよい。面相豊かな羅漢さんが遠来の衆生を迎えてくれる。
昭和14年、四国遍路の旅にでた山頭火は、松山を一洵とともに出発し、三角寺から雲辺寺まで遍路して雲辺寺で別れている。ここからまた、山頭火の四国遍路の旅は続くのである。-平成16年8月7日- |
桂林寺-小松島市中田町- |
観音の ひかりとうとき桂林寺 御堂の隅に冬のこもれび<芳月> |
けいりんじ。美しい響きのある寺は、日峯山の南麓にある。室町時代に将軍足利義満の知遇を得た釈周勝の創建である。阿波の守護職細川氏との因縁が深い寺である。細川家第六代の持常が寺を再興し、細川家との縁が特に深まったようである。持常は頼春(管領頼之の父)の100回忌法要を桂林寺で行い、法華経八巻を奉納している。
阿波細川家は代々管領家の一門として幕政に発言権を有し、持常は重臣の寄合いに上洛したり、将軍義教が赤松満祐に殺害されるとその討伐に主導的役割を果たし、細川家の高揚を図った武将だった。持常の位牌が桂林寺にあり、永代供養されている。本堂で、その姿も尊く、聖観音様が過ぎ去った日々を静かに回想し諸氏の菩提を弔っておられる。本当に姿のよい観音様である。定朝様を感じさせる。
「昔の本堂は、境内の南にありました。いま観音様をお祀りしているお堂は観音堂であったかと思います。小松島西高校のそばまで十一の堂宇が建ち並ぶ寺院でした。」と寺の方。雲の合間からこぼれた冬の長い陽が堂に射し、階段周りが暖かく包まれている。-平成16年12月- |
焼山寺-神山町- |
焼山寺は、四国88箇所第12番札所。寺は、鴨島の藤井寺から40キロ、逆打ちして大日寺から30キロといずれも距離がある。寺は三方を鮎喰川の本支流に囲まれ、焼山寺山(標高が938b)の山頂付近に建っている。旧遍路道は恐ろしく急坂である。遍路道は、「一に焼山、二にお鶴(鶴林寺)、三に太龍(太龍寺)」とうたわれた難所が続く。お四国さんの難所中の難所である。
焼山寺の目前に三筋の道がある。心はやる遍路は、躊躇なく寺まで一番近い手前の急坂の遍路道を辿ったであろう。いったいに、険しい山岳の札所に向かう遍路道は幾筋かある場合が多く、近道ほど急坂である。
焼山寺の山門をくぐると、すっと高く伸びた樹齢300年ほどの杉並木がある。大杉が境内や奥の院参道脇に群立する有様は、まことに清々しく神々しいものである。境内に杉の香が漂い、石段越しに大師堂、本堂、三面大黒天堂、阿弥陀堂などが見える。本堂左側の三面大黒天堂に安置された三面大黒天は、日本の三体のひとつ。弘法大師の作と伝えられる。大黒天など三神が一体となっており、除災招福の神として信仰されている。奥の院は、焼山寺山の山頂にある。−平成15年10月- |