小松島市芝生町に「旗山」という小高い山がある。独立丘を成し、国道55号線から西方向を眺めると、こんもりとした森にみえる。頂上に八幡神社がある。
旗山の麓からウバ,メガシの大木に覆われた急な石段を上り、八幡神社の右手に回ると、武装し弓を構えた義経の騎馬像がある。朝陽を浴び、巨大な人馬が赤く染まっている。
小松島は、讃岐の屋島に逗留する平氏攻めに向かった源義経が上陸(勝浦尼子が浦)したところ。重い腰を上げた義経は、暴風雨を突き攝津から僅か4時間で小松島に上陸。自陣の陣容を考えた計算づくの出陣であったろう。小松島を出立した義経は、吉野川、阿讃山脈の大坂峠を越え讃岐・引田に行軍。まで一日で到着。僅か150余騎だった。塩飽水軍を前衛に配備し、海上からの攻撃に備えていた平氏は義経の陸からの奇襲に総崩れになり、戦局は源家の圧倒的優位に展開したのである。平氏は志度から壇ノ浦に落ちてゆく。
「旗山」は、小松島に上陸した義経が「白旗」を翻し士気を昂揚したところと伝えられている。市内には、弁慶の岩屋、新居見城址、鞍掛の岩など義経縁の伝説地を巡る「義経ドリームロード」が設けられている。
義経は、屋島の戦いの4年後、衣川の戦(1189年)に散った。兄・頼朝を慕いながら、兄に攻められ命を落とした義経。全国を駆け巡り、軍略の智謀を発揮した武人でありながら、情の脆さが同居して政略家になり得なかった義経。悲運の武人といえよう。-平成16年- |