恋人峠-徳島県穴吹町-
誓いの鍵
恋人峠
  カーン、カーン、カーン・・・。恋人峠で鐘が鳴る。カップルが神妙に峠の鐘を鳴らし、フェンスの網目にしっかりと鍵をかけ、立ち去っていく。谷底でブルー色した一筋の谷川が、鐘の音を大海に運ぶ。
 
  恋人峠は、国道492号線沿いのかつての難所にある。鋭くカーブし断崖を削り取った道は難所中の難所だった。源平合戦で敗れ剣山に落ち延びた平家の公達を慕い、あとを追った姫君たちが余りの険しさに悲涙のうちに袖を分かった峠と伝えられる。近年、橋が架かり道路は直線に改良された。旧道部をそのまま残し、アンフィニ・ベルを設置してラッキースポットとしたものであるらしい。架橋ができ二度と悲涙することなく、男女がとこしえの愛を誓い合うスポットというところであろう。
  色とりどりの鍵が掛かる恋人峠。自転車用の大きなワッカの鍵もある。恋人たちの並々ならぬ誓の証であろう。 恋人峠から100メートルほど遡ると、左側に赤く塗装された「恋人橋」がかっている。下は奈落のV字峡。四合地方面へはこの橋を渡る。
源義経と旗山−小松島市芝生町−
  小松島市芝生町に「旗山」という小高い山がある。独立丘を成し、国道55号線から西方向を眺めると、こんもりとした森にみえる。頂上に八幡神社がある。
 旗山の麓からウバ,メガシの大木に覆われた急な石段を上り、八幡神社の右手に回ると、武装し弓を構えた義経の騎馬像がある。朝陽を浴び、巨大な人馬が赤く染まっている。
  小松島は、讃岐の屋島に逗留する平氏攻めに向かった源義経が上陸(勝浦尼子が浦)したところ。重い腰を上げた義経は、暴風雨を突き攝津から僅か4時間で小松島に上陸。自陣の陣容を考えた計算づくの出陣であったろう。小松島を出立した義経は、吉野川、阿讃山脈の大坂峠を越え讃岐・引田に行軍。まで一日で到着。僅か150余騎だった。塩飽水軍を前衛に配備し、海上からの攻撃に備えていた平氏は義経の陸からの奇襲に総崩れになり、戦局は源家の圧倒的優位に展開したのである。平氏は志度から壇ノ浦に落ちてゆく。
  「旗山」は、小松島に上陸した義経が「白旗」を翻し士気を昂揚したところと伝えられている。市内には、弁慶の岩屋、新居見城址、鞍掛の岩など義経縁の伝説地を巡る「義経ドリームロード」が設けられている。
  義経は、屋島の戦いの4年後、衣川の戦(1189年)に散った。兄・頼朝を慕いながら、兄に攻められ命を落とした義経。全国を駆け巡り、軍略の智謀を発揮した武人でありながら、情の脆さが同居して政略家になり得なかった義経。悲運の武人といえよう。-平成16年-