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碆ノ手鯨塚 |
楠ノ浦鯨塚 |
明浜町に高山という町がある。湾をなす同町の東、碆ノ手の祠に「鯨塚」がある。天保年間に寄鯨によって飢饉を凌いだ地区の人々によって鯨は手厚く供養され、石碑に鯨の戒名が刻まれている。戒名は「隣王院殿法界全果大居士」である。戒名を宇和島藩第7世藩主伊達宗紀が揮毫し、高山の金剛寺に過去帳が保存されているという。地区の人々は鯨に大名級の戒名を付け、鯨に報謝の趣を表したのである。また明浜の俵津湾の南に突き出た小さな半島の外周道路に同様の鯨塚がある。こちらに碑には「明治三午年 呼嗚大□鯨子墓講中建立」と刻まれている。明浜の数多い小湾は期せずして鯨が寄ることがあったのだろう。後者の碑に講中とあり寄鯨がかなり頻繁にあり、捕獲の組織化がなされていたことをうかがわせる。子を宿した鯨がいても不思議はない。
明浜の宮之浦や狩浜から縄文時代の石斧や釣針が出土している。 入り江の町は住み心地がよく、古くから栄えたところだった。−平成14年9月− |