八幡神社の磐境-三加茂町中庄-
 吉野川の南岸に三加茂という町があり、金丸八幡神社の境内に「磐境」が残っている。板状の緑色片岩の剥離片を地面に突き刺すようにして八幡神社境内の北側に巡らされている。東と南側の列石を欠いているため、全容はわからないが、磐境の南西の隅に残るカギ状の遺構から推定して、東西方向に長い四角形の空間が板石で囲われていたのだろう。
  徳島県下に磐境とみられる遺構が随分ある。穴吹町「磐境神明社」のそれは割石を積み上げ長方形の空間を確保している。弥生時代などでこのような磐境の空間を神域にして、神事が行なわれたのであろうか。金丸八幡神社の秋の祭礼の宵宮(10月14日)で神降ろし(降神の神事)が行なわれ神楽が舞われる。これらの一連の神事は、後年、地域に伝わる磐境の記憶ではないだろうか。大変興味深いものがある。-平成16年11月-
藍商住宅-石井町藍畑-
 吉野川南岸の平野で、阿波の浮き屋根が青空によく映えている。石井町藍畑に所在する「田中家」は、代々藍商を営んだ商家。藍玉、青藍、すくもを商う商家だった。
  青石などを積み上げた高い石垣の上で、主屋の棟にガップリを渡した四方寄せ棟の茅葺屋根に、広く大きな本瓦葺の下屋根が回してある。この絶妙のバランスから、茅葺の上屋が浮かんで見える。遠目にも本当に美しいものである。
  主屋、藍寝床など11棟の建物の配置のバランスも大変よい。田中家の広い敷地と多くの建物を眺めていると、藍商がいわば装置産業であったことがよくわかる。その筆頭は藍寝床である。低層、重厚な独特の建物が並ぶ。
  田中家の近くに武智家があり、同家も藍の商家である。藍寝床が残っている。
  木綿の染料に使われた阿波藍は、その栽培からすくも、藍玉などの生産工程に及ぶまで明治期に新歩の極点に達し、世界に比肩するものがなかった。しかし、インド藍や化学合成染料に押され、明治30年以降は次第に衰退の道をたどっている。-平成16年11月-