瀬居島−坂出市番の洲-
ヤートめでたいなこの御用はヨオー めでたいノーエー・・・
                    <塩飽舟歌(おめでた)>
瀬居島遠望
瀬居島
  祝い事の席で長老が舟歌を歌い始めると、瀬居島の人々は全員が正座をして威儀を正して唱和するという。 秀吉の治世に御座船鳳凰丸、孔雀丸が泉州の堺で進水したさい、秀吉の所望によって「塩飽舟歌(おめでた)」が献上されたと伝えられる。瀬居島の人々は、この舟歌を塩飽の誇りとして歌い継いできた。
 瀬居島は、人名制度のもとで栄えた塩飽諸島のひとつである。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康から朱印状を得て諸国を廻航し島に富をもたらす一方、国難などの際には兵役に服した人々だった。造船技術に優れ確かな操船の技量に将軍たちは目を細めたことであろう。

 瀬居島の人々は御用船方の誇りと万民の繁栄を歌に托す。まことに厳粛でおめでたい歌詞で歌われる。本浦の瀬居島八幡宮の参道脇に顕彰碑が建てられ、歌の来歴と歌詞が刻まれている。
  瀬居島はいま、番の洲の埋め立てによって四国本土とつながり、島の南に工場が林立する工業地帯の一角を占めるようになった。西浦、本浦、竹浦(写真上)が旧島のなごりをとどめている。浦々に漁港がひらけ、ウバメガシ、クロマツに覆われた花崗岩の岩山に島四国がめぐる。航海の無難などを島四国に託す。ウバメガシの樹林の下で石仏が静かに佇んでいる。
  瀬居島の西に瀬戸大橋が架かっている。岩山の高みから塩飽諸島の絶景を望むことができる。眼下の断崖で白波が岩にはじける。 岩山の頂上に瀬居島の島四国の札所がある。頂上一帯は、平坦になっていて弥生式土器等が出土するところ。讃岐の山は内海の山々を含めメーサの形状をもつものが随分多く、そこに弥生期の生活の跡や古墳などの遺跡をとどめる場合がある。瀬居島の岩山もそのような山頂のかたちを備える山の一つ。山上、山腹は日当たりがよく畑作物の栽培には好都合。水利は、近場の湧水ないし雨水を貯めた井戸である。山頂に小さな井戸状の水溜が何箇所か掘られている。多分、古代からこのような水利によって農耕が行なわれてきたのだろう。
 巨大船が眼下の瀬戸をゆっくりと滑ってゆく。-平成17年2月−