荒神桜−安芸高田市向原町戸島−
 高天原(標高690b)の西麓の尾根が戸島川の段丘に迫る斜面で、戸島の「荒神桜」が開花した。淡紅色の三分咲ほどで県道37号線から眺めるとほんのりとピンクに染まって見える。
 桜の名前は、近くに祀られた荒神社に由来する。桜は目通り4メートルほどのエドヒガン。
 親指の爪ほどの淡くほんのりと紅い小さな花は可憐で美しいものだ。樹齢は庄原の藤木のエドヒカン(約260年)ほどであろうか。幹の内部に大きなウロができているが、懸命に生きている。エドヒガンの頂点木は鹿児島県大口市にある。京都の鴨川堤や紫宸殿の左近の桜は日本の代表的な桜であるが、草深い安芸の里で咲く桜もまたよいものである。−平成19年3月−

鴨川 御所(紫宸殿)
  トサミズキ−大竹市− 
 わが眠る 枕に近く夜もすがら 蛙鳴くなり 春ふけむとす
                         <斉藤茂吉>   
トサミズキ 昭和8年4月11日、三次市布野の出身でアララギ派の歌人中村憲吉を見舞った斉藤茂吉は、翌12日、厳島にもうで岩惣という旅館に投宿。標記の「・・・夜もすがら蛙鳴くなり春・・・」を作歌。
 岩惣のあるもみじ谷あたりは、厳島の神殿から少し離れた、水利のきいたところ。谷川の水周りで蛙が鳴き、アセビの花が満開のころであった。
 厳島の北の海は大野瀬戸。対岸に経小屋山(標高約597b)がそびえ、厳島の霊峰弥山と対峙する。
 弥山より66メートル高く、全山が岩に覆われた経小屋山。天智天皇の治世に経小屋が建てられ、山頂で看視にあたる防人が一切教を守り本尊としたと伝えられる山である。白村江の戦で唐・新羅の連合軍に完敗し、朝鮮半島から撤退したヤマト王権は、壱岐対馬や北部九州、瀬戸内海の屋島などに有事の逃げ場となる山城を築城する。緊張した極東の政治状況を憂慮して、各地に経塚、経堂、経小屋などを建て国家鎮護の祈りをささげることもあったのだろう。
 遠目には、厳島の島影があまりにも霊威に満ちているため、知名度において経小屋山は少しわりをくっている。経小屋山は、北麓に樹木が生い茂り、山火事によって岩肌が露出した南面とは異なる顔をもち弥山に勝るとも劣らない自然豊かな山である。
 春まだ浅いころ経小屋山の登山道脇でトサミズキ、シロモジ、シキミの花が咲きはじめた。この時期に咲く花は、なぜか黄色のものが多い。うっそうとした山中には、黄色の花がよく目立つ。春らしさ感じる黄色の花は、種の保存にも好都合なのだろう。春の里山を明るく染めている。アセビは中国山地に密生する樹木。春を感じさせる花である。−平成19年3月− 
カタクリ−安芸高田市向原町、広島市安佐北区白木町等−
 もののふの八十乙女らが汲みまがう寺井の上の堅香子かたかごの花 
                       <万葉集 大伴家持>
カタクリ  越中国司、大伴家持が詠んだ歌である。カタカゴはカタクリの古名。うつむきかげんに咲くこの花は、サクラとともに春を告げる花。サクラと花期が重複し、かつ広葉樹の林床を埋める目立たない花であるがゆえに、注目されることも少ない。むしろ球根から片栗がとれることから山里の人々には、山菜取りに似た採集の楽しみをがともなう野草だった。さらに、家持が寺井の上の・・・と詠ったように、カタクリは寒冷地の日当たりのよい人家近くで咲く花。カタクリにとっては二重の災難がふりかかり、近年、里山などからほとんど姿が消えた。
 また、気候などの条件からみて、カタクリが中国山地で種をのこし、繁殖しているとは普通では考えにくい。
 しかし、広島県下の庄原市、向原町、神石高原町などの山地部にカタクリの自生地が確認されているのだ。向原町長田の自生園は、繁殖面積葉が広く、密生したカタクリがいっせいに開花する様は見事なものである。午前11時頃、気温が上がると咲きはじめ、夕方になると花弁を閉じる。花期は長く、二週間ほど。自生園は一般に開放され、例年カタクリまつりが開催される。農産物などの販売も行われ、訪れる人も多い。
 向原町の隣町、白木町志路の正明寺近くの山裾でも高い石垣の間で花をつけたカタクリを見かけることがあった(写真上)。カタクリの花は、すがすがしく、可憐。いつまでもカタクリの花が咲く里であってほしいものだ。−平成19年3月−