久井の町−三原市久井町−
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 “一太郎さんが石見銀山街道を下り、久井の稲生神社下に神石牛の子牛60頭余りを繋ぎ終えたころ、すっかり陽は落ちている。
 50軒はある宿の店先に「牛馬宿」の灯りが入りはじめると、博労たちが次々と宿に向かう。一太郎さんは、馴染みの牛馬宿にあがり、晩酌で疲れを癒しながら、牛を3頭
ばかり買って尾道まで運ぶ算段で明日の定期牛馬市のことで頭がいっぱいだ。”
 牛馬市跡に立つと、そのような杭(久井)の牛市の情景が浮んでくるようだ。最盛期には市が立つと1万数千頭の牛馬が集まり、全国から訪れる博労たちで町は賑わったという。
久井町歴史民俗資料館
牛馬宿灯火
 品評会などもしばしば行なわれた。神石牛は前足が短く、つやのある真黒な毛並みで肩はほぼ一直線で、腹線は垂れ下っておらず、堂々としてまったく美しいものである。農家は品評会で入賞して登録牛(親牛)に選ばれることを希い、飼育に精魂をかたむけたのである。神石牛は、比婆牛とともに和牛の絶品。中国山地の和牛の華。
 昭和39(1964)年、千年以上続いた久井の牛馬市はその歴史に幕がおり、家並みは更新された。いま稲生神社の境内から眼下の町並みに往時を思うことはできない。
 しかしさいわい、牛馬市の跡地に「久井町歴史民俗資料館」が建ち、併設の「杭の牛市跡記念館」に牛市関係資料が保存されており、私たちは記念館を訪問することによって牛馬市の追体験ができる。農具や灯火用品の展示も豊富だ。
 久井町歴史民俗資料館の「節句どろ人形」の展示は見事なものだ。300点余を保有し、うち半分ほどが展示されている。江戸から大正時代にかけ親戚や知人から初節句を迎える子供に贈られ、実際に久井町内で使われたものばかりだ。町娘、武将、天神、七福神など時代時代の民俗をうつしている。三次人形が大半であるが、博多人形や伏見人形などもある。三次人形がこれほどそろっているところはそう多くはない。−平成18年11月−

稲生神社の裸祭り
 備後の極寒の行事に稲生神社の境内で繰りひろげられる「裸祭り」がある。もともと三原地方に多く、小早川時代にひろまったといわれる神明社の行事は、「市」であったり「とんど(左義長)」であったりするのであるが行事は大体冬期に行われる。久井の裸祭りも神明社の祭りであるが、久井には神明社がないので稲生神社の境内で行われてきた。裸祭りは備後の冬の祭典の極点を示す行事であろう。締め込み姿の氏子らが陰陽2本の神木(福木)を奪いあう。
 久井の裸祭りは、岡山の西大寺観音院の裸祭りと同日の2月の第3土曜日に開催される。21時スタートの福木の争奪戦に屈強の闘士が、陰陽の2回、ぶつかりあう。布に包まれた福木が投下され争奪が始まる。福木は布に包まれたままであったり、抜けでたりしてその在りかを探りあい力闘が続くのである。奇祭である。
 10月は、久井ゆかりの「牛市祭り」が催される。男女別に「うどんの早食い競争」があり、歴史民俗資料館前の広場は大いに賑わう。4分間の時間制限があって、平らげた玉数を競うわけであるが今年(平成18年)の優勝者は男子部門で9玉。久井はなかなか魅力的な町である。

牛馬市風景(資料館)

節句どろ人形(資料館)
参考 : 艮神社の秋祭り 久井の岩海