宮島の風景(厳島神社)−廿日市市宮島− | |||||||||
青海はにほひぬ宮の古ばしら丹なるが淡う影うつすとき <北原白秋> |
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広島本土の宮島口からフェリーに乗り10分、宮島着。海岸線沿いの参道を西にゆくと厳島神社。社は推古天皇の時代に、佐伯鞍職によって創建されたと伝えられる。 潮が満ちると、大鳥居、本殿、幣殿、拝殿、祓殿や回廊の桁のことごくが海中に没する。真に稀有な神殿。海中神殿の着想は、平清盛が安芸守に任ぜられた久安2年(1146年)のころに生じたのであろう。 海上に浮かぶ朱の回廊と緑の連子に彩られた神殿は絵巻を見るようである。本殿は両流造り。京都の松尾神社と厳島神社のみに伝わる様式である。それにしても海上に浮かぶ神殿は美しいものである。 海中神殿の発想は、当時の浄土教の思想が影響しているのではないだろうか。水上という地上と逆転の世界を浄土に見立て、華麗な神殿を造営し清浄、甘美なところとして浄土をあらわしたのではないか。浄土門でなくとも当時の貴族一般にそのような他界表象があったのだろう。だからこそ、平氏一族は足しげく厳島神社に参詣し、納経なども行なったのであろう。平家が壇ノ浦に滅ぶとき、安徳天皇を抱いた二位の尼は、「この国は心うきさかゐにてさぶらへば、極楽浄土とてめでたき処へぐしまいらせさぶらふぞ」と幼帝を慰めるのであった。 厳島神社の神殿周りの塔もまた、神殿の景観を補完して余りある美しさがある。浮殿の回廊から眺める五重塔や背後の山裾から眺める多宝塔などは本当によいものである。多宝塔は大永3(1523)年の創建。純和洋を基調とした建築物。浄土寺の多宝塔に次ぐ古建築である。五重塔は、応永14(1407)年の創建と伝えられる。和洋と禅宗様の融合した見事な塔である。海上から眺めても美しい塔である。 今日もまた、世界各国から訪れる参観者を乗せたフェリーが、白い航跡を残してカキいかだの浮かぶ海をゆく。−平成18年4月− |
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