長崎は、藩政期における国内で唯一の開港であった。多い年には100艘もの中国船が入港することもあった。長崎の寺町の一角に、東明山興福寺という禅寺がある。長崎の人が唐寺とよぶ寺は、長崎に居留する中国人や入港船の乗組員らの信仰を得て繁栄した。開山は、元和6(1620)年、真円という江西省出身の僧。承応3(1654)年には福建省の黄檗山万福寺から隠元禅師が来日し、唐寺の住職を務めている。翌明暦元(1655)年、東上した隠元は宇治で黄檗山万福寺を開いている。
唐寺の山門をくぐると、正面にさるすべりの木が2本あり、斉藤茂吉の歌碑がある。 |
長崎の昼しづかなる唐寺や思ひいづれは白きさるすべりの花
<茂吉> |
石段を上ると左手正面が本堂(大雄宝殿、写真左)。災害により大破した仏殿は、明治16(1883)年、純中国様式によって新築された。四方の隅屋根は強く反転している。前廊部の黄檗天井や組子の円窓は実に美しいものだ。堂内の瑠璃籠(中国ランタン)は日本国内では最も大きなものである。−平成18年3月− |
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