九州絶佳選
熊本
田原坂−植木町田原坂−
雨は降る降る人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂・・・ <肥後民謡>
 西南戦争最大の激戦地となった田原坂。意外に狭くみえる延長1.4キロメートルの坂は、北から一の坂、二の坂、三の坂と続き、標高100メートル余の三の坂の頂上部にクスの大木が茂っている。付近は公園化され、戦死者の慰霊塔や征討総督士熾仁親王の崇烈碑、弾痕のついた家などがある。 
 明治10年2月15日、鹿児島を出発した西郷隆盛を擁する薩摩軍は同月20日、川尻に到着。その前日の19日には征討令が発出されていた。賊軍となった薩摩軍ははじめ熊本城を包囲し戦ったが城は落ちなかった。薩摩軍は、南下する官軍に対抗するため主力を高瀬まで引上げたが押し戻され、田原坂で決戦となった。戦闘は3月3日から17日間の昼夜に及んだ。雨が降りしきる同月20日、官軍は総攻撃をかけ田原坂を突破。薩摩軍は、熊本城の包囲を解き九州山地を敗走。9月に鹿児島に戻った薩摩軍は、西郷隆盛の岩崎谷での自刃によって全滅。戦死者は両軍合わせて1万人余を数え、我が国最大の戦闘となった。戦闘の帰趨を決した田原坂。田原坂公園のクスの大木は激戦の生き証人。静かに世の行く末を見守っているようにみえる。