高宮神社の社叢(ミヤマカタバミ、シロバナネコノメソウ)
−甲賀市信楽町多羅尾− |
ミヤマカタバミ |
信楽に多羅尾という旧村がある。4月下旬、ようやく桜が満開になるころ、代掻きが終わった早稲田でカエルが鳴きはじめた。
多羅尾は信楽と伊勢・山城を繋ぐ交通の要衝地である。本能寺で織田信長が明智光秀に討たれた際、堺で遊楽中の徳川家康は多羅尾を経て領国尾張に逃げ戻った。周辺に幹線道が整備され、多羅尾は今、静かな山村の風情である。
多羅尾に鎮守が2社ある。里宮ともうひとつは日雲岳の麓にある高宮。高宮は鬱蒼とした樹林に覆われた社(写真下)。社伝は日本書紀に記された垂仁天皇4年遷座の甲可日雲宮(元伊勢。こうかひくものみや)縁の神社で、皇大神が近江国坂田宮に遷座後、同神を奉祀する社として神明宮或いは高宮権現と称していたと伝える。明治時代以降は高宮神社と改め、火産霊神(ホムスビノカミ)を奉祀する。例大祭は欠かさず行われるとのことだ。7月には夏祭前に虫送りの行事が行われる。高宮を訪れた日、春祭がおこなわれていた。
鬱蒼とした樹林に覆われた社地は清らかである。
拝殿前の石垣や参道脇の樹下にミヤマカタバミ(カタバミ科)が咲き始め、寄り添うようにしてシロバナネコノメソウ(ユキノシタ科)が咲いている。シロバナネコノメソウは米粒ほどの花。たぶんこの鎮守は、千年以上変わることなくこの里に春の到来を告げてきたことであろう。−平成24年4月− |
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