冬が去り田や小川のあぜにフキノトウ、ニガナ、セリ、ヨモギが芽吹くころ、鈴鹿山麓でのんびりと若菜を摘む猿の群れが弾んでみえる。
人もまたこのころ薬猟をおこなった。若菜を摘んで五体の健康を願ったのだ。近江は薬猟の故郷。あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る〈万葉集〉。天智7(668)年5月5日、近江朝をあげ蒲生野で薬猟が行われた。その際、額田王が皇太子(大海人皇子。天智天皇の弟。後の天武天皇)と交わした歌がこの歌。
場所も場所、猿もまた蒲生野近くで薬猟を楽しんでいるようである。ボスざるも子ザルも野に出て若菜を盛んに口に運び入れている。若いオス猿がメス猿の後を追い、じゃれあっている。その数、数十頭にも及ぶ大きな群れだ。そのうち親猿は勇敢にも県道508号線(中里山上日野線)を横断し、畑にでて麦の芽をちぎっては口に運んでいる。5頭、10頭と固まって草を食む。次々と横断する猿に道をゆずり、徐行し或いは停止して猿の薬猟を見守る自動車。人と猿とのほほえましい光景が近江路にある。春、恒例の行事なのであろう。住民も心得たものである。
土手の子ザルは腹いっぱい若菜を詰め込んだようである。子ザルを抱いた母猿や若猿が獣害除けのネットのポールに手をかけて一休みの体。人と猿とののんびりとした時が流れている。−平成27年3月12日− |