堅田の浮御堂−大津市本堅田− |
鎖あけて 月さし入れよ 浮御堂 <芭蕉> |
琵琶湖の西岸、堅田の海中に海門山満月寺の御堂が浮かんでいる。それは、寂びた老松が植わった境内から20メートルほど先の湖中にある。
御堂は3間3間の単層屋根本瓦葺、露盤宝珠をいただき、唐破風の向拝が付いている。御堂は堅田の浮御堂として世に知られ、千体阿弥陀仏を安置する。
寺は長徳年間(995年頃)に恵心僧都によって創建された。中世には戦乱によって堂宇が荒廃した。桜町天皇から能舞台を賜り建てたものがいまの浮御堂の前身であるという。堂中の千体仏は、元弘の乱によって352体が失われたが、佐々木義實によって補われるなどしたという。
前景に湖水、そのはるか東に伊吹山、近江富士(三上山)、西に迫る比叡連峰を借景にして湖中を漂う浮御堂。一茶、広重、北斎など湖国に杖を曳き、浮御堂に遊んだ人は多い。芭蕉もまた浮御堂を訪れ、月の風雅に遊んだひとりである。元禄3(1690)年、芭蕉は粟津の義仲寺境内にある木曽義仲の墓の傍らに無名庵を結んでいた。8月14日(待宵)、15日(名月)、16日(十六夜)の3夜を月の本末と名づけ、十六夜は湖上に船を浮かべ、堅田の浮御堂に遊び浦の月をみて、‘
やすやすと出ていざよふ月の雲 ’を十六夜の立句として、芭蕉、成秀、路通など連衆が歌を詠んでいる。‘鎖あけて月さし入れよ浮御堂 ’‘十六夜や海老煮る程の宵の闇’<芭蕉>がある。この日の様子は史邦の「小文庫」に出ていて、岸上に筵を延べて宴を催し、鯉・鮒などを肴に、湖上を花やかにてらす月見が行われたのである。堅田にて月の本来を叶えたいものである。−平成20年4月− |
|
|
|
|