丸子船の記憶−伊香郡西浅井町大浦− |
近江の淡海をマルコブネが往く。帆に風を孕み沖行くオオマルコは200石船、沿岸をつかず離れず帆掛けるマルコは30石にも満たない家族船。白帆に○の字を染め抜いた出船、入船で賑わう北淡海の大浦港は、加賀米や薪炭或いはニシン・海草などの北陸の魚介類を京都・大阪に搬送するマルコブネで賑わっている。敦賀から大浦街道をたどり中山越えしたノボリニは大浦港で中継され、マルコブネによって京阪神に搬送されたのである。最盛期には琵琶湖全体で1400隻のマルコブネが湖上を往来し、大浦港は89隻(享保年間)のマルコブネが在籍する北淡海の重要港であった。しかし、昭和30年代、マルコブネは近江の淡海から忽然と姿を消した。陸上交通の発達によって100石船で250俵の米俵を搬送したオオマルコもその役割を終え、湖上から姿を消したのである。船体の両側に二つ割りにした丸太をつけたマルコブネは琵琶湖特有の帆掛け船だった。焼玉エンジンを搭載したオオマルコも出現したが、もともとそこは乗組員が起居した生活空間であった。親子で船中生活をしながら湖上を漂うマルコの家族船もあった。淡海を稼ぎ場とし、家族の泣き笑いがきこえる船だった。「北淡海・丸子船の館」(伊香郡西浅井町大浦)に1枚の写真が掛かっている。舳先近くで炊飯する構図であり家族船のようである。洋服姿などから昭和二、三十年代の家族のランチタイムのスナップ写真であろう。私は思う。私たちは今日、この家族に感じる愛と信とを持ち合わせているだろうか。ごくありふれた生活の隅々に愛情と信頼で満たされた生活こそが真に豊かな生活であることをこの写真は教えている。現存するマルコブネは2隻という。うち1隻が「北淡海・丸子船の館」に保存されている。琵琶湖の最北、西浅井の旅にもまた新たな発見があるだろう。−平成21年7月− |
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