滋賀
相谷土偶−東近江市永源寺相谷町−
 滋賀県の湖東に永源寺という名刹がある。寺は深い峡谷をなす愛知川右岸の段丘上にあり、子授観音として知られる世継観音(聖観音像)を本尊とする。その川向の棚田から高さ3.1センチほどの土偶が発掘された。制作年代は約1万3000年前という。旧石器時代と縄文時代を繋ぐ日本最古級の土偶発見の相谷発のニュースに、平成22年6月、大勢の人が現地説明会に訪れた。遺跡周辺はさながら土偶ラッシュの観を呈した。
 公開された土偶は親指ほどの大きさ。もともと胴体のみをつくり、乳房を強調し、腰部は大きくくびれ、どっしりとした豊満な女性が表現されている。立体感があり、14年前に発掘された同時代の粥見井尻遺跡(三重県松阪市飯南町)のそれらより写実的かつ焼成の度合いもだいぶ良いようである。
 土偶はまったく時代を感じさせないヴィーナスといってよい。できばえが良すぎて、発掘経過に疑問を感じないわけでもない。まして、土地改良事業に伴う記録保存のための発掘と聞けば、遺跡の現地保存の確約がもとからなく、予算と調査期間が限定され、手足を縛られた状況下での作業と想像できるから、疑えばきりがない。しかし、発掘担当者は、そのような勘ぐりを一掃する慎重さで発掘を進め、かつ親指ほどの遺物も見逃さなかった。発掘した土は天土から順次、掘り進む段階ごとに細かく区別して管理し、ふるいにかけ調査を進める緻密さが土偶の発見につながり、調査の透明性を担保したのである。さらに、竪穴式住居から出土した無文土器や爪形文土器の編年考証が、土器に付着した煤から放射性炭素測定法により行われた年代測定結果と一致し、ここに日本最古の土偶は過去の記憶を呼び戻し現代に蘇った。なんとも新鮮な驚きがこの土偶にはある。
 縄文遺跡は東高西低の観があるが、近年、四国や中国地方の山間で縄文時代の注目すべき発見が相次いでいる。滋賀県下においては、琵琶湖の湖西地域を除く湖の周辺部で縄文時代の湖底遺跡や貝塚が知られていて、近畿地方では縄文先進県であった。今回の発掘では、鈴鹿山脈の山続きの尾根の西側斜面で竪穴式住戸跡が5棟分(うち1棟から土偶が出土)が確認された。竪穴式居址の直径は8メートルもあり、建坪は50平方メートルほどの大型住宅である。湖底遺跡とはだいぶ驚きも感じ方も異なり、住居の内部構造にまで興味が湧く。5棟の住居には、いずれにも煮炊きする炉がないという。柱穴址から住居内部を小分けして相当数の人が住んでいた可能性も否定できない。この遺跡は縄文草創期における定住性や家族の成り立ちなどへの疑問も投げかける無二の遺跡といえるのではないだろうか。
 遺跡は標高220〜228メートルの地点から発見された。発掘面積はごく僅かである。今後、この高台の斜面から驚くような発見が期待できる可能性もあり、更なる調査の拡大と遺跡の面的保存が期待されるところ、地区の人々には農業振興への期待と生活がかかっており、今後、遺跡保存の行方につき市民の尽きない関心が寄せられることであろう。−平成22年6月−