慈眼堂の石仏−大津市坂本− |
滋賀院の境内に慈眼堂(写真右)がある。徳川家康、秀忠、家光の3代の将軍の政治顧問であった慈眼大師南光坊天海大僧正の廟所である。家康の政治顧問としてきこえた人。日光東照宮の造営なども案外天海の着想であったのかもしれない。
慈眼堂の上手に東照宮がある。完成が日光東照宮より早く、東西の東照宮造営は天海の着想によるものか。廟の上手に定印を結んだ13体の座高1.5メートル余の阿弥陀如来の石仏が並んでいる。室町時代の造立。天文22(1553)年、近江半国の守護職、佐々木六角義賢が母の菩提を弔うため、近江鵜川(高島町鵜川)に48体の石仏を奉安した。その一部が天海によって当地へ移された。それぞれ顔の表情が異なり、室町時代の特徴がよく現れた石仏である。 |
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