滋賀
弁慶引摺鐘(三井寺)−大津市園城寺町−
 お寺に鐘は付き物。時を告げ、その音をきく者に楽土に到る功徳を与えるものとして撞かれ続けてきた。今日、そうした鐘の音を聞く機会も少なくなった。たぶん除夜に撞く鐘としてしか意識されなくなってしまった。
 夕陽のころに鐘を聞き、或いは参詣のしるしに鐘を撞く。昔は庶民と鐘とのかかわりがずいぶんあった。鐘の大小やその新古の違い、形状などによってもみな音色が異なる。狂言に「鐘の音」という名作がある。鐘の音を擬音語によって演じわけられるほどに人々の鐘への関心が高かったわけだ。
 大津市に園城寺(通称三井寺)という古寺がある。金堂裏手の丘上に霊鐘堂が建ち、いわゆる「弁慶引摺鐘」(写真上)という伝説の鐘がある。室町時代の御伽草子や太平記などで語られる鐘は幾とおりもの伝説をうんでいる。俵藤太秀郷が三上山のむかでを退治したお礼に竜宮の女神からいただいたという話が御伽草子にみえる。よい音色を醸して名をなした鐘も建武年間の被災によって音を失い、かえって伝説が伝説をよぶところもあったのだろう。謡曲の「三井寺」に・・・さざなみや三井の古鐘はあれど昔にかえる声は聞えず・・・と謡われている。堂に置かれた鐘は2メートル余の堂々としたもので撞座の位置が高く、当麻寺鐘と同様に竜頭の宝珠の上に火焔状の装飾がある。乳は5段7列である。朝鮮鐘の特長をもつ白鳳天平期の名作であろう。音の三井寺、神護寺の銘、平等院の形と称せられ、「天下三鐘」のひとつであった。撞座の蓮華紋の輪郭や駒之爪の線状部が崩れ、草之間に溶けた剥落部が目立つなどそれらは鋳出した当時のものではなく被災時の傷痕であるのだろう。慶長7(1602)年、霊鐘堂の真向かいにある鐘楼に新鐘(二代目)がつるされた。この鐘もまたよい音をかなで、近江八景のひとつとして知られる「三井の晩鐘」である。のびやかで深い寂びがある。−平成20年−
     七景は霧にかくれて三井の鐘  <芭蕉>
     門口に来て氷るなり三井の鐘  <一茶>