大阪
ああ 中之島(橋の風景)−大阪市中之島−
あらがねのつちもてしライオンは生命あるごとうずくまりゐる  〈不退〉
難波橋
難波橋 大阪は八百八橋とうたわれた橋の都。淀川は大川と名を変え、河口部の中州は中之島と名づけ、その南北を流れる川はそれぞれ堂島川、土佐堀川と名づけられた。藩政期の川筋は諸藩の蔵屋敷が建ち並ち並ぶ日本経済の中心地だった。
 中之島は港湾に接し、物流や情報発信に便利なところ。明治維新後も公共施設や商業ビルが立ち並ぶ大阪の政治経済の一大中心地であり続けている。中之島の南北に、天満橋、天神橋、難波橋、水晶橋、鉾流橋、渡辺橋、淀屋橋等々・・・いくつもの橋がかかり、川面にビルの影を映して美しい。
 中之島の少し上流に八軒浜(大川南岸(左岸))がある。そこは京−大坂を上り下りする30石船で賑わったところだ。京阪電鉄の天満駅に接して桟橋(船着き場)が設けられ、水の都・大阪の水上観光の拠点となっている。
 八軒浜は「渡辺の津」とも呼ばれ、上古から栄えたところ。桟橋に立って大川を眺めると、上手(上流)に天満橋(橋長151b)が見える。’はしけ’が心地よいエンジン音を弾ませて橋を潜っていく。はしけは今も商都大阪のエンジンであり続けている。
 八軒浜の下流を眺めると、中之島の先端部に天神橋(橋長210b)が架かっている。三径間のアーチ橋。橋上から天神祭が俯瞰でき、祭の当日は立錐の余地もなくなる。
 大阪城内に鎮座する豊国神社(大坂城内)はもと中之島にあって天神祭との所縁も深い。豊太閤から授かった催太鼓に投げ頭巾の願人を描い陶板が、橋から中之島公園に降りる螺旋階段に掲げられている。そのほかドンドコ船、提灯船、お迎え人形船、網代車、凰輦などを描いた陶板が生き生きと祭が描かれいる。よい出来栄えで、一見の価値がある。 
 天神橋のラセン階段を降り、川の流れに沿って中之島の芝生公園、バラ園を行くと難波橋(なにわばし)(橋長189b)。幾度か架け替えが行われ、現在の橋は大正4(1915)年に堺筋に架けられたアーチ橋を昭和50(1975)年に原型を崩さずに合成桁に改築したもの(写真冒頭)。中央のポストに澪つくしの市章を掲げ、欄干に青銅のランプ、橋詰の4か所にライオンの石像が据えられ「ライオン橋」とも称され市民に親しまれてきた橋。フランスのアレキサンダー3世橋やイエナ橋などを参考に造られたものか。橋は中之島から橋に上がる石段や彫刻など特異な着想もあり美しい。大阪の橋の白眉だろう。
 このほか中之島には水晶橋(橋長66b)など近隣の建築物と調和して橋もある。永く残されることを願いたい橋だ。−平成24年12月−