奈良
六田の淀−吉野郡大淀町北六田−
 音に聞き 目にはいまだ見ぬ 吉野川 六田の淀を 今日み
 つるかも  <万葉集 1105>
 かわず鳴く 六田の川の 川柳の ねもころ見れど 飽かぬ
 川かも  <万葉集 1723>     
 源流から河口に到る一本の川は、ところどころの風土をうつし、いくとおりもの名を変え姿を変え、普遍真情の姿を崩さず、人々の脳裏に生きつづける。
 吉野川もまた、大淀町の北六田辺りでは「六田の川」と称せられ、その淀を「六田の淀」と呼んだ。
 万葉の時代、都人がうらやむほどの風光をたたえた六田の淀。そこは平安時代に醍醐寺の開山聖宝(理源大師)によって開かれたと伝えられるが、多分、奈良時代から大峯修験道に通ずる山岳信仰の原形が存在していたのではなかろうか。奈良盆地のたおやかな景色が一変し、神仙の深山が現れる吉野は、万葉人の憧れの土地であったはずだ。六田の淀は単に対岸に行く渡しにとどまらない大峯信仰に通づるもう一つの吉野への入口であったはずだ。だから、六田の川は「ねもころ見れど飽かぬ川」であったのだろう。
 北六田の吉野川右岸に残る石灯籠(天明6(1786)年建立。写真上)が渡し場址附近にあったようであるが、道路拡幅工事によって若干動いている。石灯籠付近から上流を望むと、美吉野橋(写真下)が見える。往時、吉野川の水かさは今より相当多かったことだろう。「六田の淀を今日みつるかも」とうたった万葉人の感動が伝わってくるようである。−平成19年11月−