飛鳥古京の風景−高市郡明日香村− |
眼下に明日香村をのぞむ。遥か西方の青垣にみえる二上山。青垣から流れ出る尾根、尾根の間隙に田園が開け、大和棟の民家が日暮れの陽を浴びている。
ここは飛鳥古京。二上山の西方、難波津から大和川を遡り、隋、唐或いは百済の文化が当地に伝えられ、その後の日本文化の礎を築いたところ。わが国が東アジア世界にデビューを果たした推古朝の本拠地である。
昭和40年代頃から法興寺(飛鳥寺)、豊浦宮(向原寺)、飛鳥板蓋宮、川原宮(川原寺)など地下に圧縮された遺構が徐々に姿を見せ始めた。奇しくも高度経済成長期に、私たちは古代再生の黎明を見たのである。以来、明日香の人々は、種々の制約を伴う不便な生活を余儀なくされた。日々の生活と景観と遺構の保存。しばしば聴聞が開かれ、苦しい胸の内を吐露した明日香の人々。しかし今、各国から訪れる人々をも温かく受け入れている。
眼下に島庄がみえる。石舞台古墳の巨石が横たわる(写真上、画面左下)。一辺、約50メートルの方墳。深い空濠をめぐらせ、日本最大級の横穴式石室が露出する古墳である。蘇我馬子墓ともいわれる。見学者が絶える日はない。−平成20年4月− |
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石舞台古墳 |
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