近畿風雲抄
奈良
明日香川−高市郡明日香村−
明日香川 しがらみ渡し かませば 流るる水も のどかあらまし
                    <万葉集 柿本人麿>
 晩秋の枯野にスズキがたち、ほろほろと天を突いている。明日香・稲淵の山間の寒気にさらされたスズキ。ほどよく乾燥し畳表の下敷としてよい材料となる。その谷あいを流れるささやかな川が明日香川だ。
 明日香川・・・大和川の1支流が私たちの脳裏から消えることはない。明日香はぼんやりとして霞がかかった時代の象徴。飛鳥人が、朝な夕なに眺めたであろう川の歴史と万葉の詩情ゆえ、私たちはこの川に特別の感情を刻むのだ。
 明日香川は驚くほど小さな川。万葉集にのこる長短歌の数は「よしの川」や「まつら川」の比ではない。「あすかがわ」或いは「あすかのかわ」と表現された明日香川は、総数20首ちかくにもなるだろう。川は治水、利水の根源の川としてではなく、人々の心象の川として深く或いは清らかに詠われる。 私たちの脳裏にある明日香川は、今も昔も喜怒哀楽を含んで流れ続けている。
 柿本人麿もまた、明日香川を詠んだ歌人である。持統朝に奉仕して草壁、高市、川嶋などの諸皇子の挽歌をのこしている。人麿は詠う。「・・・飛鳥の明日香の河の上つ瀬に石橋渡し下つ瀬に打橋渡す・・・み名に懸かせる明日香河万代までに愛しきやしわご王の形見にここを…」と(明日香皇女(天智天皇の子)挽歌)。「明日香川 しがらみ渡し かませば流るる水ものどかあらまし」の歌は、反歌二首中の一首である。
 高取の山地を源流にして栢森、稲淵を下り、多武峯から流下する明日香川は、冬野川(細川)の谷水を集め明日香の中心部を貫流し、藤原京をよぎって大和川に注ぐ。明日香川は大和の歴史を増幅しながら流下する川だ。
 大和三山、二上山など大和平野の実景を眺めながら明日香川の土手沿いの道を歩くのもよいだろう。
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