畝傍山−橿原市− |
・・・軽の市に 吾が立ちきけば 玉だすき 畝火乃山に 鳴く鳥の 音もきこえず 玉ほこの 道ゆく 人も 一人だに 似てし行かねば 術をなみ 妹が名よびて 袖ぞふりつる
<万葉集 207 柿本人麻呂> |
香具山は 畝傍を愛しと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし いにしへも 然にあれこそ 現身も 嬬を 争ふらしき
<万葉集 13 中大兄皇子> |
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畝傍山(写真上中央)。標高199メートル、休火山、大和三山の一つ。ビュートの山容が美しい。藤原宮の内裏の西方に伏し、三山中もっとも高い山。山麓に橿原神宮や神武天皇陵などの陵墓がある。
人麻呂が妻のもとに通った「軽」の地も畝傍から遠くはない。畝傍山頂から見下ろせば、軽の巷から妻を亡くした人麻呂の泣血哀慟の叫びが聞こえてくるようだ。飛鳥の甘樫丘に登れば、畝傍、耳成、天の香具山の三山が指呼にある(写真下)。まことに麗しく、この三山の間隙に藤原京が営まれ、わが国は律令国家、仏教教国としての体裁を整え、平城遷都へのエネルギーを蓄積したのだ。
三山中、畝傍山を女山とし、耳成、香具山両山を男山とする説がある。中大兄皇子(天智天皇)が弟の大海人皇子(天武天皇)と額田王をめぐって妻争いをした三角関係をうたった標記の歌が根拠となっている。もちろん男山説をとなえる者もいて畝傍山の性別は紛々としている。甘樫丘や高家(たいへ)から或るいは御所の葛城山麓辺りから三山を眺めても畝傍山は際立って怏々しい。とても女山の印象を得ることはできない。中大兄が三角関係の比喩として便宜的に畝傍山を女山とした可能性も捨てきれない。ひとそれぞれに、万葉の故地を踏み、おもいをめぐらせてみるのも楽しいだろう。−平成21年11月− |
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大和三山 |
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写真左から畝傍山、中央やや右に耳成山、右端中央の上に香具山頂上部が覗く(甘樫丘からの展望) |
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藤原京 |
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大和三山に囲まれた中央部の区画が藤原宮(約1キロ四方)。藤原宮の北側に耳成山(写真右)、西側に 畝傍山(写真中央上のやや右)、天の香具山(写真左)が所在する。
※橿原市藤原京資料室(奈良県橿原市縄手町178-1) 展示資料 |