近畿風雲抄
奈良
耳成山−橿原市−
・・・耳梨みみなしの 青菅山あおすがやまは 背面そともの 大き御門に よろしなへ 神
さび立てり・・・<万葉集 長歌の一節>
耳成山  耳成山は大和三山の中ではもっとも低い山。標高139メートルの山。
 藤原京はこの耳成山の南方に大極殿を配し、三山に囲まれた東西約2.1キロ、南北約3キロの整然とした都城。律令国家の完成を象徴するものであった。平城京の約三分の一の規模。大極殿の南に朱雀門を配し、道路幅約19メートル(路面幅)の大路が南方にのび、飛鳥川に達する。朱雀大路は山を崩し古墳を崩して築造された。その顛末は30年ほど前に行なわれた発掘調査によって、日本書紀にしるされた通りであったことが確認された。さらに朱雀大路は多分、飛鳥川を越え、その南方に連なるとみられ、本邦初の壮大な都市計画街路であったはずだ。
 耳成山は京域の北面をおさえる山。朱雀門の南、200メートルの朱雀大路址から眺めると、木が茂る大極殿址の土壇越しに耳成山がみえる(写真)。万葉びとは大和三山について、香久山を「・・・青山としみさびたてり」、畝傍山を「端山とやまさびいます」、耳梨山を「よろしなえ神さび立てり」と表現した。香久山は今なお青々とした山容を四季になじませているし、畝傍山は三山中もっとも高く、よく目立ち山容はみずみずしく、耳成山は山姿が美しく神々しさをたたえている。まったくうまい表現。現地に立つと実感が湧く。もっとも、このうたは「藤原京の御井の歌」の表題が付され、埴安の池の堤の上に立ってうたわれたことが歌詞からわかる。今は御井も埴安の池も現存していない。小高い池の堤から見る耳成山の実景は一層、「よろしなえ神さび立てり」の山容をかもしていたのだろう。-平成21年6月−
耳成山