奈良
天空の橋(谷瀬の吊り橋)−吉野郡十津川村上野地−
 とんと 十津川 御赦免どころ 年貢いらずの つくりどり
                     < 十津川俚謡 >
谷瀬の吊り橋 十津川は神武天皇東征伝説や南朝悲史或いは天誅組の活動の舞台として知られたところ。7世紀から明治6(1873)年、地租改正条例の布告まで実に千年以上、十津川は免祖地だった。‘とんと十津川御赦免どころ年貢いらずの つくりどり’とうたわれた。明治4年には全村民が士族に列せられた。歴史のある山村である。
 十津川の南は熊野に通づる。大和或いは山城、河内、難波の防衛上、十津川は特別の意味合いがあった。外敵は常に背後から侵入するものだ。大化の改新以来、十津川が朝廷から特別待遇を受けてきたのもうなずける。
 十津川の山また山の壮大な景観は余人のちっぽけな山岳観を凌駕して余りある。千メートル級の高く険しくい山々の中腹をぬって幹道がはしる。深い峡谷と青い空。十津川の川筋の中空に吊り橋がみえる。幅20センチほどの4枚の板敷きが延々、約300メートル。高さは54メートルある。村道指定され、村人の生活道路。これが「谷瀬の吊り橋」のすべてだ。
 十津川住民の日常は、出水との戦いであった。度重なる山腹崩壊と洪水被害により明治期、開拓民となって十津川から集団離村する人もいた。不意に襲う洪水の流量予測は簡単ではない。地震予知同様、不可能に近い。悪戦苦闘して十津川の住人は55年前、自らの拠出によって遂に天空に橋を架けたのである。総工費800万円。以来、橋は、空を行き洪水にも鉄砲水にも流されることはなくなった。ゆらりゆらり、中空に遊ぶ爽快さは格別である。−平成21年9月−

谷瀬の吊り橋 十津川俚謡が
刻まれた石柱