近畿風雲抄
奈良
宮滝 たぎつ河内−吉野郡吉野町宮滝−
 皆人の 命も我も み吉野の 滝の常磐ときはの 常ならぬかも
                     <万葉集922 笠金村>
 山川も 依りて仕ふる 神ながら たぎつ河内に 船出せす
 かも                 <万葉集39 柿本人麻呂>
                    
宮滝 吉野川に宮滝というところがある。近鉄吉野線大和上市駅から吉野川沿いに伊勢街道を数キロメートル遡ると宮滝はある。
 吉野川の源流をなす大峯山系は日本有数の多雨地帯。川は北流し或いは南に流れを変え、蛇行を繰り返し、大岩盤が露出した宮滝あたりで水流はたぎ(激流)をなす。そこは、応神、雄略、斉明、天武、持統、聖武天皇などが離宮を営み、上古から天皇の行幸が繰り返され、辺りの実相から「たぎの宮」とも呼ばれたところだ。
 わが国はコメを主作物とする瑞穂の国。そこは水がたぎるところでなければならなかった。水への信仰から当地に離宮が設けられ、行幸が繰り返されたのだろう。
 神亀2(725)年、聖武天皇の吉野離宮行幸の際、従駕した金村の歌などから離宮の所在地が今日の宮滝であったことは間違いがなかろう。「滝の常磐」の様相は柴橋に立てばすぐに実感できる。そこは持統天皇に従駕し、しばしば離宮を訪れた人麻呂が歌う「たぎの河内」であったのだ。
 先の大戦後、水需要の増加によって上流にダムが設置されるなど水利が多様化し、吉野川の水量は激減した。柴橋の少し上流にささやかなたぎをとどめるに過ぎない(写真上)。宮滝下流の御園辺りは水枯れした河原にごろた石が露出し、荒涼とした風景を呈している。もはや万葉の秋津の川をおもうことはできない。
 しかし、宮滝を散策すれば、「象の小川」、「みふね山」、「さきの中山」、御園や菜摘の山は万葉の昔のままだ。旅人、金村、人麿、赤人が見たであろう宮滝の実景は色あせてはいない。いずれ宮滝の水量が回復し昔ながらのたぎをみるときもあるだろう。−平成21年11月−

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