奈良
飛鳥寺−高市郡明日香村−
飛鳥寺 崇峻天皇元(588)年、飛鳥の地に法興寺(通称、飛鳥寺)の建立が計画され、寺は推古4(596)年に完成した。恵慈ら僧侶が住したと日本書紀はしるす。
 鞍作鳥によって製作された本尊が寺に安置されたのは、推古14(606)年といわれる。法興寺の建立から実に20年近くの歳月を経て、飛鳥寺は名実ともに仏教国日本の源流となったのである。
 飛鳥寺の完成は、旧守派で廃仏派の物部氏と数十年にわたり続いた政治的闘争に蘇我氏が勝利したことを示す金字塔であった。勢いを得た蘇我氏はその後、天皇家をも凌駕するようになる。しかし、やがて、蘇我入鹿が中大兄王子と中臣鎌子連によって板蓋宮で殺される事態へと発展する。中大兄王子らは飛鳥寺に入り、明日香川を隔てた寺西の甘橿丘一帯にあった蘇我氏の上宮を攻め、蝦夷は自刃する。天皇は飛鳥寺の大槻の下に中大兄王子ら群臣を集め、大化の改新の盟を行うのだった。飛鳥寺と蘇我氏の上宮とはいくらも離れていない。板蓋宮にも近い。この狭隘な飛鳥の空間で、日本の歴史は唸りをあげて動きはじめたのである。
 飛鳥寺址に安居院というささやかな寺院が建っている。いく度かの苦難に遭いながらも堂の大仏は飛鳥の微笑を湛えている。早苗が植わった真神が原に雨が降る。田面の波動にも入鹿、蝦夷の幻影が漂ってみえる。−平成19年−