奈良
八釣−高市郡明日香村八釣−
  矢釣山やつりやま木立もみえず降りまがう雪にこまうつ朝楽しも
                 <万葉集 柿本人麻呂>
八釣 明日香村に八釣(写真左)というところがある。土地の人は「ヤトリ」と発音し、「ヤツリ」では通じない。
 甘橿岡(あまかしのおか)に立つと東の方向に今の飛鳥の甘南備(もとは雷丘)がみえる。その左手山腹の高所に高家(たいへ)集落が見え、八釣はその集落から八釣川沿いに少し下ったところにある。
 ささやかな集落は昔、顕宗天皇の近飛鳥八釣宮があったところと伝えられ、広計(おけ)皇子神社はその宮跡の一部(写真左手の森)といわれる。神社の南側に八釣川が流れ、あたりは古風な静寂が漂うところだ。霜が降り凍てついた田んぼに薄氷がはるころ、官人たちが行交ったであろう路に風が吹く。藤原京遷都後、都を遠みいたずらに吹く風に采女ならずとも、八釣の人々は万感の真情をこの小路に綴ったことであろう。
 標記の、「矢釣山 木立もみえず・・・」の歌は、人麻呂が新田部皇子に贈った歌の反歌であるが下の句「雪驪朝楽毛」の訓に定説がない。また矢釣山の比定につき細井本が矢をとし、釣を駒としているのに沿って、矢釣山を生駒山とみる説がありこの歌の解釈は紛々としている。人麻呂が歌を献じた新田部皇子邸は唐招提寺付近であったから、そこから生駒山の木立などももともと遠くて見えないから、矢釣山は単純に八釣集落の背後に控える八釣山と解する方が自然であろう。降る雪を浴びながら人麻呂らは八釣の小路を往ったのだろう。それは八釣を少し下って小原の里から飛鳥古京に、或いは古京から八釣を経て山田ノ道に向う道すがら歌ったものか・・・。積雪を踏み分けて八釣の小路を黙して歩む人麻呂らの一団がなんともすがすがしく感じられる。−平成20年1月−