奈良
山の辺の道_穴師の辺り−桜井市穴師−
 纒向まきむくの穴師の山に雲居つつ雨は降れども濡れつつぞ来し
                     <万葉集 作者不詳>
 桜井の三輪山麓の金屋辺りから奈良の高円山の西麓まで、奈良盆地の東端を南北に、くねくねとゆき集落を貫き或いは尾根を上下して、古代の幹道はその名のとおりいまも山の辺の道である続けている。
 初瀬川が盆地に吐き出される辺りに栄えた金谷の海石榴市つばいち辺りを南端にして、その北に大神神社、桧原社を巡り、景行天皇陵や崇神天皇陵などヤマト王権草創期の遺跡が連綿と続き、それらを縫うようにして、山の辺の道は続く。 かの箸墓も桧原社の眼下にある。
 桧原社は大神神社の摂社となっていて元伊勢とよばれる古い歴史のある社。三輪の桧原と万葉集で詠われたヒモロギで、山の辺の道の枕詞となるほどに、万葉人にはよく知られたところだ。
   往く川の過ぎにし人の手折らねばうらぶれて立てり
   三輪の桧原は  <万葉集 柿本人麻呂>
桧原社 山の辺の道
桧原社 山の辺の道
 桧原社の西に続く台地をゆくと巻向。杉の大木が繁る道の向こうに穴師の集落がみえ、左手に大和盆地がひろがる景色の良いところである。このあたりが古道を思うのに最もよいところであろう。民家の前を流れる川は巻向川。驚くほど小さな河川であるが、この川もまた歴史を湛えて流れる川だ。
 穴師の山の主峰は415メートル。山麓に景行天皇の伝纒向日代宮址がある。白壁の大和棟の民家が続く古道を、風任せに辿ってみるのも良いだろう。