京都
閑話百題−本のこと−
神典(上)と日本土木史(下))
 パソコンやスキャナー等の機器やDVD、USBなどの記憶媒体の発明によって瞬時に膨大な情報が処理され、かつインターネットを通じ提供される多様な情報を容易に入手できるようになった。図書館に通い本を捲ることなく家庭にいて専門技術的な知識を含めインターネットから即時かつ無料で情報を得ることができ、家庭生活の在り方が革命的に変化した。今後ともインターネットを通じて提供される情報がその質、量ともに高度化することは自然の流れであろう。
 しかしまた、私たちは、日常生活において銘々が知りたいと思う情報を体系的かつ詳細に効率よく得たいと思う場合もある。加えてそれらの情報が1冊の本に集約されていると大変、便利なことも知っている。分厚い本は持ち運びや使用にも何かと不便である。大量の情報がコンパクトに綴られておればこれほど好都合な本はない。
 齢を重ねると本の数もまた増すものである。捨て難く積んでおくといつの間にかちょっとした小屋が建つほどの量になってしまう悲しい現実がある。しかし、本にもそれぞれの顔があり、その顔色を眺め暮らすのも老人の楽しみとして否定されるべきものでもないだろう。
 私のささやかな蔵書のうちに、「明治以前日本土木史」(昭和11年6月発行。15円)と「神典」(昭和11年2月発行。4円50銭)という発行年の似た2冊の本(写真上)がある。この年代の本は紙質、装丁ともに行き届き、両者ともに天(神典は天・地・小口とも)に金粉が施され虫食いもない。戦前の本の全盛期においても、製品としても良いものであったに違いない。細かな採寸はさておき、本の分厚さを比較すると神典は日本土木史の2分の1ほどの約4センチ。ページ数は神典の方が日本土木史より411ページ多い2156ページ。神典は辞書のそれを上回る透き通るほどの薄紙に古事記、日本書紀、古語拾遺のほか宣命(続日本紀抄)、令義解・律(いずれも抄)、延喜式(抄)、新撰姓氏録、風土記、万葉集(抄)の10編が刷られた代物。ポケットに入るくらいの大きさである。何かと便利な本である。自分の嗜好にあいこれほど多くの情報がコンパクトにまとめられた本に私はかつてお目にかかったことがない。このころの本には和紙に刷られたものなどもあり、それらをぼんやり眺めているだけで古き時代を偲ぶこともできる。
 しかし、先の大戦下で出版された本は概して紙質が悪く、続卷ものでは卷ごとに本の高さが違う(例えば「萬葉集全釋」(全6巻))など時代時代の出版事情を窺い知ることもでき、平和の尊さを改めて思わずにはおられない。−平成24年2月−