京都
閑話百題−スペイン歌曲−
 LPレコードには電子音にない肌の温もりがある。数年前、50年ほど前に買ったターンテーブルのゴムベルトを都合よく交換でき、レコード熱に火がつきはじめていたところ、たまたま富山を旅行中に適当なアンプ、イコライザーをリサイクル店で見つけて以来、コーヒータイムにはLPレコードが欠かせない存在となった。もっぱら40年ほど前に買ったホームソングの全集ものを聴いているが、レコード盤に反りはなく、ガリを感じることもなく良い調子である。難点は機器のメンテ。プレーヤーのゴムベルトや針は消耗品であるが、針は代用がきかず電気店から取り寄せるしかない。欠品になっているものが多く好事家のつてを頼らないと調達できないものもあってなかなかやっかいである。管弦楽などの鑑賞にはイコライザーが欲しくなるが、これも気に入ったものが手に入らない。メンテや周辺機材の好みなどを考えるといらいらが募るが、やっぱりアナログにはアナログのよさがある。
 明け方、 加藤登紀子の歌で「禁じられた遊び(Romance de Amor)」、三石暁美の歌で「ハバネラ(Chanson de "Habanera")」を聴いた。「禁じられた遊び」はルネ=クレマンの映画で、三十数年前に日本でもポピュラー曲となった。ハバネラはオペラ・カルメンのアリアとして日本でも有名である。人間に喜怒哀楽があるように、同じスペインを舞台にした歌曲においても陰影があるのは当然としても、これほど対称的な歌が同居する国・スペインの不思議を感じてしまう。
 「禁じられた遊び」を陰とすれば、「ハバネラ」は妖しげな陽の曲であろう。ナポレンは、”ピレネーの彼方はアフリカである”と言った。「禁じられた遊び」にせよ「ハバネラ」にせよ、その国民性にアフリカが投影されているように思う。中世、回教徒の勢力下にあったこの国は、ムーア人が去り一転してカトリックの国として厳しい戒律に日常が縛られるようになると、当然、禁断の恋などは’陰’となりカルメンの流し目などは束縛からの解放を求める軽快な’陽’の動きとして噴出する。ナポレオンはそのような歴史を抱え込んだ国民性を端的に表現したのではないだろうか。さらに、このような陰陽がもっとも典型的に吹き出した国こそがスペインではなかったか。もっとも、スペインのイメージとしては、底抜けの明るさが勝っているようには思うのであるが・・・。スペイン歌曲に限らず、LPで聴くと大変心地よいものだ。−平成22年4月−