京都
良寛とすみれ
  春の野にすみれつみつゝ鉢の子を忘れてぞ来しあわれ鉢
  の子
  鉢の子にすみれたんぽぽこきまぜて三世の仏にたてまつ
  りてむ
  飯こふとわが来しかども春の野にすみれつみつつ時をへ
  にけり
                             〈良寛〉
 良寛和尚はうめ、やまぶき、あしび、さくらなどずいぶん多くの春の花を詠んだ歌人である。
 −わがやどの軒端に春のたちしよりこころはのべにありにけるかも−
 春の気配が軒端にたちはじめると良寛のこころははや野辺に向かう。季節の到来とともにいつもどおりありふれた花がありふれた野辺に咲くよろこびを喜びとしてめでるこころこそ良寛をして到達せしめた禅のこころだったのだろう。 
 春の野にすみれが咲く気配を感じると、托鉢の鉢も忘れて野に向かいすみれをめでる良寛がそこにいる。そのすみれやたんぽぽは三世仏(阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒如来)へのお供えとしてどのような荘厳にもまさるものであるに違いない。托鉢もうっちゃって時を忘れてすみれをめでる良寛がいる。平易な歌や行いで良寛はわたしたちに処世のヒントを与えているようにも思われる。
 すみれは住宅地の空き地や田んぼのあぜ道或いは深山にまでいたるところで見かける花。その種類も実に多い。写真のすみれは丹後の野辺に咲くすみれ。足を止め、すみれに良寛を思うのもよいだろう。−平成21年4月−