京都
丹波の彫物師・権次のノミ跡(壱鞍神社の彫刻群)-綾部市志茂町-
 山家(綾部市)から府道1号線を往き山をわけ、ようやくたどり着いた街に壱鞍(いちくら)神社という社がある。参道を往き、階段を昇ると境内。明るくすっきりとした境内の左
壱鞍神社
社務所
手に古色を帯びた社務所がある。手入れの行き届いた品の良い社務所の入口の庇が僅かにカーブして、建物の美しさを一層、際立たせ見飽きさせない。
 もうひと息と階段を昇ると被い屋の中に、鎮座する本殿が現れる。被い屋は神体を秘め隠すためのいたずらかと疑ってもみるが、北陸地方で見かける雪除けのそれであるらしい。唐派風をしつらえた向拝周りをたどると、軒周りの彫り物は実に精巧を極め、保存状態も良い。
 神社本殿は一間社流れ造り。向拝の軒唐派風を正面から眺めると、
1 向拝柱の左右に、貫と海老虹梁(えびこうりょう)が交差する木鼻に、唐獅子と象の彫り物が見える。左側(西側)の唐獅子は阿形に口を開き、象は吽形に閉じる。右側(東側)のそれは左側の反対に彫られ唐獅子は吽形、象は阿形の態を著しまことに喜ばしい。
 さらに唐獅子と象の目はまん丸の目に黒の縁取りを施し、象の鼻は折り曲がり本物の長い鼻の省略形を現わしている。唐獅子、象ともにほほえみにも似た、ほのぼのとした雰囲気を醸しだしている。祭神・木花佐久耶昆売命(コノハナサクヤヒメノミコト)もにっこり、微笑まれていることだろう。
唐獅子(阿形・左側)
象(吽形))
唐獅子(吽形・右側)
象(阿形・右側)
2 向拝の奥の方のうす暗いところに小さな力神(士)が一人。棟桁を担いで口をへの字にして髪は天を衝き、潰れそうになりながら懸命にこらえている。この力神(士)にだけ目玉の黒の輪郭がまん丸ではない。目玉まで踏ん張っている。こらえにこらえ、瞬時も休まず200年、敬服に値する尊像であろう。人生様々、なんだか私たちの人生の写し絵かもしれない。
力神(士)と竜 力神(士)(上段)と
3 このほか拝殿周りは鳳凰、鶴、龍などがしつらわれている。
鳳凰

壱鞍神社の彫刻群
 壱鞍神社の彫刻群について唐獅子などの目玉や象の鼻の形状などから丹波・柏原を本拠にして北近畿で名を成した彫物師・中川権次一統の作品であることは明らかである。
 権次一統の作品は比較的、創建の古い寺院や神社においても散見され、寺社の改築時等に納入されたようである。作品の分布域は北近畿一円。古社寺の多くにその作品を見いだすことができる。
 権次一統の家系を日光東照宮の宮大工(初代は徳川家康召し抱えの京大工)に求める説があるが、唐獅子から滲み出るほっこりとした雰囲気はまったく日光のそれではない。出自がそうであっても丹波の方言を共有し、見る者の共感をえてこそ作品の大きさは評価されてしかるべきであろう。
 壱鞍神社の社伝によると文政61823に社殿の改築が行われている。作品群はそのころ納入されたと考えられる。活動中の彫刻師は安永9(1780)年生まれの中井権次橘正貞(一統6代目。初代の正清の銘「橘」を復活)。43歳当時の作品と推認され、正貞の盛期の作品。ほっころとした丸みがあって見る者を飽きさせない魅力がある。権次一統の本拠地(現兵庫県柏原市)に鎮座する五社稲荷神社の一統の作品と見比べても遜色がない。丹波不世出の6代目といえる。
 
-令和5年1月-