十倉の曳山(壱鞍神社の秋祭り)-綾部市志茂町等- |
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曳かれゆく十倉屋台の人形の遠き視線に赤とんぼ飛ぶ <禧子>
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綾部市の山家から福井県大飯町に通じる京都府道1号線を行くと、十倉志茂町に壱鞍神社がある。氏地は十倉志茂町のほか十倉中町、十倉名畑町、十倉向町の4町。
この壱鞍神社の秋季大祭で隔年ごとに曳山が行なわれている。曳山は屋台と呼ばれ志茂、中、名畑から出て、向町から神輿が出る。平成27年は曳山の当たり年。10月10日宵宮、11日本祭。
宵宮の日、各町の集会所などが宿に充てられ、屋台の飾りつけが行なわれ、伊勢音頭の慣らしが行なわれている。屋台の中央に人形が飾られ、後ろに締め太鼓が2基結わえられる。屋台の幕の内に鉦方が入る。笛方が屋台の後ろに続く。いずれも小学生。狭い屋台に潜り込む鉦方は小学低学年の子供たちから選ばれる。古色の漂う人形は、祭りの日まで特定の個人によって大切に保管されるという。
午後2時ころ各町の山車が壱鞍神社に向け出発。笹ばやしにのって進む。要所、要所で伊勢音頭が奉納される。
壱鞍神社の地元志茂町の屋台は府道1号線の道半ばまで曳かれ、3町の山車を出迎える。一時して4基の山車が列をなし神社に向かい、一泊される。
本祭の日、12時過ぎから神社境内で山車の練り込み(氏人は「ナオライ」と呼んでいる)が行なわれ、氏地を巡行。志茂の屋台は送り屋台となって3基の山車とともに巡行し、十倉交差点あたりで4基の山車が横一列に、1号線脇に並ぶ。向町の太鼓が祭り気分を盛り上げて大いに賑わうと言う。午後3時ころ散会。山車はそれぞれ氏地に戻って行く。残念ながら本祭は見物することができなかった。再来年は見逃すまい。 |
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十倉の曳山雑感 |
壱鞍神社の創建は不詳。曳山の由来も仔細不明である。屋台の形状などから祇園祭の屋台が手本となっていることは明らかである。屋台の導入や維持管理、屋台に据えられる立派な人形の維持などを思うと、何かと入用である。伊根の船屋台と似たところがあって、隔年開催の曳山となったものか。別の理由があるのかも知れない。
中町の屋台人形の脇に「文化12年若講中」の記銘札があり、少なくとも約200年前には今の曳山の形ができていたものと思われる。立派な人形の存在は、十倉が豊かな村落であった証し。曳山は丹波では非常に珍しく、貴重である。
壱鞍神社の祭神はコノハナヤサクヤヒメ(何鹿郡史)。安産、火伏の神として崇められことが多い神であるから、神頼みができるほど十倉の人々の生活が安定していた証しでもあるだろう。
「昔、屋台を曳いた経験があって、祭りになるとそのころのことが懐かしく思い出されます。」と感慨深そうに屋台の道行きを眺めるご婦人。またある氏人は「・・・人形の遠き視線に赤とんぼ飛ぶ(禧子)」とうたっている。(境内の歌碑から)
この神社に女性が特別の思いを託する訳はやっぱりご祭神への思いからだろうか。屋台の曳き手や囃子方もほとんど女性である。よい祭りに出会った。-平成27年10月10日- |