京の街角(白川の桜もみじ・かにかくに祭)−東山区祇園町− |
かにかくに 祇園はこいし 寝るときも 枕のしたを 水の流る
<吉井勇> |
祇園・白川の桜並木がもみじして、川瀬の水音が心なしか澄みはじめるころ、祇園新橋の巽橋近くの川辺に建つ吉井勇の歌碑前で「かにかくに祭」が行われる。祭りは例年11月8日に営まれ、舞妓や芸妓が吉井の歌碑前に菊一輪を献じる。色づきはじめた桜もみじに舞妓の着物姿がよく映える。
吉井がこよなく愛した祇園。吉井が足しげく通った祇園新橋のお茶屋「大友」の建物も今はない。白川の瀬音に大友の娘で文芸をよくした芸妓藤田多佳女(たかじょ)との邂逅の日々をうつしているようだ。大友の一間は白川の上に突き出て立ち、吉井は「・・・枕のしたを 水の流る」と詠んだ。
祇園は清水寺、八坂神社の門前に栄えた歓楽地。東は祇園石段下、西は大和大路、南は建仁寺の北、北は新橋通りに至る一帯の通称。明治維新のころ芸妓560人、舞妓176人を擁し、一見(いちげん)の客は断るほどの格式があり、島原をしのぐ隆盛を誇ったという。
毎年4月から5月にかけ歌舞練場で催される都踊は明治5年から始まった京都の一大舞踊。赤前垂れの茶屋で逢状をかけるほどの余裕もなく、都踊に心気恍惚させ、白川に余情を託せる庶民にもまた祇園はその瀬音を精舎にかえてくれるのである。−平成22年11月− |
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かにかくに祭 |
巽橋界隈 |
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