時代祭−京都市− |
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毎年10月22日は京都の時代祭。桓武天皇を奉祀する平安神宮の祭。明治28(1895)年、神宮の創設とともに、明治28(1895)年10月に第1回目の時代祭が始まった。京都に新しい祭がひとつ増えたわけあるが、好古趣味の豊かな京都人は、延暦13(794)年の平安奠都以来、明治に至るまでの時代風俗の変遷絵巻を市中に描いたのであった。以来、115年を経過したが、古いものが多い京都にあってはたかだか100年余であるが、大いに盛り上がり、行列の列数も当初、徳川城使上洛式(第1列)から延暦文官参朝式(第6列)まで6列であったものが、今日では20列にも及んでいる。もっとも、昔は「時代風俗」絵巻の趣旨から先駆の山国隊(やまぐにたい)や凰輦の前を行く前列、神幸などは列数にカウントされていなかったが、今は参加列はすべて、いずれかの列に算入され、行列の長さも1.5キロから2キロにもなり、観覧に4、50分もかかる洛内きっての盛大な祭となった。
この時代祭なども衣装や道具類など古いものが残る京都にしてはじめてできる祭であろう。当日、観衆は沿道に行儀よく並び、歓声を上げる園児や観光客などで、京都市中は終日賑わった。 |
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♪ 宮さま宮さま 御馬のまへに ひらひらするものなんじゃいな トコトンヤレ トンヤレナ あれは朝敵征伐せよとの 錦の御旗じゃ しらないか トコトンヤレ トンヤレナ♪ |
祭りが創設され、さほど日も経っていないころ、古老たちは戊辰戦争や蛤御門の変などを実見していたから、行列の先駆けをつとめた丹波・北桑田(郡)の山国隊(やまぐにたい)が筒袖の陣羽織に威儀を正し、錦の御旗を奉じ、鼓笛隊が奏する ♪宮さま宮さまの歌に歩調を合わせて行進し、その後ろに続く引立烏帽子に直垂姿の丹波・船井(郡)などの弓箭組(ゆみやぐみ)が往くと、往時を追懐し、わけもなくほろほろと泣き、手を合わせる者がいた。
北桑田の山国郷は禁裏の御杣御料として皇室と深く結ばれ、維新には志願の郷士35名が西郷隆盛を総大将(官軍)とする戊辰戦争に加わり、鳥取藩に属して関東、東北に転戦。激闘を繰り返し7名は戦場の露ときえたが、凱旋の折には錦の御旗を奉じて官軍の先導をつとめ入洛、勤王の誉を山国の御杣に刻んだ。山国郷は四周を山に囲まれた僻遠の寒村。お金もなく、衣装の繕いもできず、隔年に出ていた祭に出ることも叶わず、遂に出てこなくなったという。そのため大正10年から京都市中の有志が出仕するようになりその名も山国隊から「維新勤王隊」となり今に至っている。装束その他についてはかつての山国隊と大差はない。
丹波の弓箭組は源頼政との縁から弓術を極めた家が郡内に数百戸(大正時代)あり、維新に活躍した。隊旗を押し立てて祭に勤仕し、山国隊とともに先駆をつとめていた。しかし、いつのころからか列編成が変わり、今は最後方にまわっている。弓箭組は警護人として維新に加わったわけではない。やはり山国隊とともに先頭を歩くべきと私は思う。
近年、京都に限らず名誉職が祭りへ参加し、先駆をつとめるケースが多い。祭の趣旨を歪めない程度にしておかないと、人々の祭への関心が失われてしまうだろう。特に京都は観光で訪れる人も多いのだから、見破られては祭効果は半減してしまう。−平成22年10月− |
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