京都
雪の御所―京都市上京区―
 今年は珍しく雪の朝となった元旦の京都。すっかり雪化粧した御苑や玉砂利に積もった御所の雪に特別の清冽さを感じるのもそこに日本の原点を感じる所以からだろう。戦後、定期的に御所が開放され雲上の秘苑とされていた紫宸殿や清涼殿などの見学ができるようになった。京都観光にも厚みがました。早朝から御所周りに外国人観光客が目立つのも時代の流れだ。
 京都御所は600年ほど前(後小松天皇の時代)に里内裏を皇居と定め、その後、織・豊二氏や徳川家斉が再整備して今の御所ができた。中国の都制を模し、御所を都の北に置き、御所から南に向かって東西に一条から十条まで大路が設けられ、南北に朱雀大路を中心にして数条の大路が整備された。条坊制がなり直交式の街路により町割りができた。旧平安京は多少の町割りの変更がなされていても碁盤の目のような条坊は基本的に今日まで変わらず、地名も「入る」「上る」などの座標軸のような特異な呼称が用いられるようになった。御所を基準とした街区の呼称がこれほど長く伝承された都も世界に類をみないだろう。皇居周りで祐宮(さちのみや。後の明治天皇)の母・権典持慶子の父・権大納言中山忠能の邸宅(中山邸跡)が夜来の雪に埋もれている。―平成23年1月―