法界寺の阿弥陀堂−京都市伏見区日野西大道町− |
伏見区の日野に法界寺という浄刹がある。俗に日野薬師又は乳薬師として聞こえ、薬師堂に安置された薬師如来の体内に伝教大師自刻の小像(薬師如来。秘仏)を収め、授乳、安産の信仰を生んでいる。当地はもともと藤原氏北家(初代は藤原不比等の子房前)に当たる日野家の荘園であったが、弘仁13(822)年に日野家宗が寺となし伝教大師を開基とした。その後資業が永承6(1051)年に寺を復興し、伽藍は壮麗を極めたが、応仁の兵火にかかり堂塔烏有に帰し、僅かに阿弥陀堂と薬師堂を残すのみであった。
阿弥陀堂は、寺の西、4キロメートルほどのところにある宇治の平等院と相前後して建てられた。5間四方の造りで裳階を付し、縁をめぐらせている。屋根は桧皮葺の緩やかな勾配が心地よい。宝形造であるが、裳階の前面の一部を一段高くして単調を破る工夫があり、よい諧調を醸しだす。堂内に安置された本尊阿弥陀如来は天蓋を備えた丈六の坐像。定朝の作と伝えられる。平等院の阿弥陀如来に一番近い坐像である。面相優美、向背は飛天を模様化している。柱は布を巻いて漆を塗ったいわゆる巻柱である。仏像、実相華、唐草模様を描き、内陣の天上の実相華に呼応する。小壁には雲中の飛天などが描かれ、組物にも実相華が描いてある。法隆寺の壁画が焼失した今、小壁の壁画は最古の寺院壁画として貴重である。真宗の開祖親鸞聖人は日野有範を父として法界寺で生誕し、薬師堂の後に本願寺日野の別堂がある。 |
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