京都・大原の寂光院は、建礼門院徳子の祈りの寺。平清盛の娘徳子は、高倉天皇の中宮となり治承2(1178)年、後の安徳天皇を生み、養和元(1181)年に院号を宣下された人。源氏の挙兵によって建礼門院は幼帝を伴って西下。壇ノ浦において最期の時を迎える。元暦2(1185)年3月24日、建礼門院は安徳天皇とともに入水。平家一門は壇ノ浦に滅んだ。しかし平氏の悲劇は壇ノ浦ですべてが終わったわけではなかった。入水した建礼門院は東国武士の手にかかり、なお生を得て「うつゝともなき」悲哀の余生をここ寂光院の林泉に過ごすこととなったのである。源平合戦の後、後白河法皇が大原に建礼門院を親しく訪ね、慰めたことが平家物語にみえる。いわゆる大原御幸で平家物語の灌頂巻に仔細が綴られ、この一節は平曲の秘伝とされた。
寂光院本尊は地蔵菩薩。後白河、安徳天皇の宸影、建礼門院の木造、阿波の内侍の張子の像を安置していた。しかし、平成12(2000)年5月、火災により本堂等が消亡。平成17年に本堂、本尊の復元が行なわれている。本堂の東に林泉があり、境内はまた紅葉の名所となっている。ささやかな池にうつろう光に紅葉が漂う(写真上)。平家追悼の趣であろう。寂光院もまた秋のころがよい。−平成19年11月−
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