京都
オオサンショウウオ夜話(由良川の怪)-綾部市-
 近ごろ、綾部市を貫流する由良川や支流・上林(かんばやし)川でオオサンショウウオがしばしば確認されるようになりました。
 オオサンショウウオは日本の固有種で世界最大の両生類。標高400~600㍍の高地の清流に棲む化石生物、特別天然記念物に指定され、体長は50~70㌢、寿命は10年以上、夜行性でカニや魚、カエルや鳥なども食べ生息するとされております。
 オオサンショウウオの発見情報が載った新聞情報や私自身の捕獲経験などから発見事例をたどりますと過去20年の間に、市内で10回の事例がございました。記憶をたどって整理しますと、
10回中6回は由良川本流(2回)と水路(4回)、10回中4回は由良川支流の上林川で発見されております。公開されなかったものや公開されていても私が失念してしまったものなどがあると思いますので、実際の発見事例は10回よりだいぶ多いのかな、と考えております。
 次に、オオサンショウウオの発見事例の場所と体長などの情報を整理しますと、
ア 上記の発見場所は綾部井堰とその下流の栗村(くりむら)井堰の間、ないし井堰から取水する周辺水路(農業用)で発見されております。由良川本流の河道距離にして1.5㌔ほどの範囲内で確認されております。
 上記の発見の態様を申し上げますと、本流での発見事例2回中、1回は釣り、もう1回は受網(後述)に入ったものでございます。調べていくうちに2回の発見事例はいずれも位田(いでん)集落の「高城館裏(こうじょうかんうら)」(背景写真)という釣りの名所で発見されております。前者は平成19(2007)年12月、後者は令和6(2024)年4月に発見されました。体長は前者が75㌢(釣り)、後者は105㌢(受網)。1㍍を超える野生のオオサンショウウオの発見は大変、珍しいと思います。たぶん、由良川水系では最大級のサンショウウオと考えられます。体重は20㌔ほどと思います。この個体は私自身が受網(うけあみ)をしていて偶然、入ったものでございます。後ほど、捕獲時の様子を紹介したいと思っております。
 本流の確認事例から、そこは栗村井堰のいわば貯水(池)でございますが、そこでオオサンショウウオが生息し、繁殖していると私は考えている次第でございます。オオサンショウウオの棲み分けから見ると標高も数十メートルにも満たないところで、井堰の近くまでボラやスズキが上ってきます。そのようなところでサンショウウオが本当に生息しているのか私自身、半信半疑でございました。まったく大変、不思議な現象がおこって、継続しているわけでございます。後ほど理屈をご説明申し上げます。
 水路での発見事例4回中、3回は栗用水の非コンクリート区間で発見されております。栗用水は栗村井堰の堰堤(えんてい)(由良川右岸)から取水する農業用水路でございいます。3回目の発見は令和6(2024)年4月。同じ場所で3頭が同時に発見されております。体長はそれぞれ70㌢、65㌢、35㌢でございます。発見時の水路環境や発見頻度の状況などから水路で営巣し、繁殖している可能性もございますが、発見場所が栗村井堰と約100㍍しか離れておりませんので本流と栗用水で発見されたオオサンショウウオは栗村堰堤(池)と一体的に考える必要もあるかと思います。しかし栗用水は堰の水位との落差が大きく一旦、堰を出ると戻れない構造になっております。
 水路の事例4回中、残る1回は綾部用水から平成17(2005)年3月に発見されております。綾部用水は綾部井堰の由良川左岸取水口から取水する農業用水路です。発見場所は取水口から1.5㌔ほど下流の三面コンクリートの水路です。水路環境からみて綾部井堰の取水口を経由して流れ出たか、水路の出口の一つが綾部井関下流の栗村井堰の近くにございますのでそこから700㍍ほど這い上がってきた可能性も否定できません。そうすると栗村井堰との関連が検討されてしかるべきですね。私はどうもオオサンショウウオの営巣地といいますか生息区が栗村井堰の貯水(池)にあってそこで育った個体が堰堤から流れ出て、くだんの水路に這い上がってきたのではないかと考えているところでございます。
イ 上記の発見事例は4回、うち1回は一度に11頭も確認されております。発見場所は延長約30㌔の由良川支流・上林川本流の上流部で発見されております。たぶん4回とも同一場所で発見されたものと思われます。上林川は一望7里の山紫水明の農村環境の中にあって、もともとオオサンショウウオの生息適地としてよく知られているところでございます。過去、幾たびかオオサンショウウオの発見事例が伝えられております。大事にしたい水系と思います。
巨大オオサンショウウオとの遭遇
 令和6(2024)年4月26日(土)、栗村(くりむら)井堰の上流にあって、位田(いでん)橋下流一帯の通称「高城館(こうじょうかん)裏」(由良川右岸)にコイ釣りに出かけました。この日は位田橋直近の由良川(右岸)の支流・八田(やた)川から本流に濁りが流れ込み、絶好の釣り日和でした。当たりがなく退屈しのぎに釣り座の下流3㍍ほどのところに受網(注)をセットし、水深1.5㍍ほどのテトラの隙間に網を挿し込んでのんびり釣りをしておりました。
 (注)受網は長径85㌢、短径(横)70㌢の大きなタモ。防獣用ネットを使って自作。竹製。雨後の増水時などに水路等に受網を固定しナマズやウナギ、フナを獲る。この地方では受網より二回り大きなタモ様の網でアユなどを掬い獲る「なぜ網漁」が行われています。
由良川の怪
 

 「高城館裏(背景写真)」はコイやフナ釣りの人気ポイント。今年の4月初旬、コイ(90㌢、約13㌔)、ライギョ(75㌢)、テナガエビ(約10㌢5尾)などを釣ったポイントに釣り座を構えました。餌は対象によってかえます。スッポンも時おりあがります。オオサンショウウオ同様、化石生物ですね。噛まれるとなかなか離してくれない、ちょっと変わった爬虫類です。釣を外せない人はベテランに外してもらったほうが無難。ハリスはナイロンの10号くらい、2㌔ほどの大物がかかることがありますからね。
 釣り人の姿が見えなくなった午後6時前、ラジオを聴きながら帰り支度をしていると、受網の柄がガタガタ、モゾモゾと揺れ動いている。慌てて受網の柄をつかんで引きあげようとしたが重くて全然動かない。両手で柄を握り全力で引き抜くように手繰り寄せると、水面すれすれまで引きあげた網の中で、細長くぬるぬるした黒褐色の生物ががうごめている。テトラからようやく受網を抜きあげ護岸の草むらまで引きずり、なんとか引きあげることができました。20㌔はあったと思います。とにかく重かったですね。
 網をのぞき込むと、ツチノコのような形をしていて不正形の丸い斑紋がうっすり見えました。目は小さく、口を開け威嚇、噛みつく素振り。尾鰭を垂直に立ててウネウネ、クネクネとスロウモーにうごめいている。夕暮れどきで焦ってしまったせいか、それがオオサンショウウオと気づくまで少し時間がかかってしまった。慌てて受網にメジャーを投げ入れて体長を測りかけたがオオサンショウウオはクネクネ、ウネウネ。身をよじらせて測らせてくれない。巻き尺の先がオオサンショウウオの口先にフィットしない、しかし触ることができないでしょう、写真は撮れましたが正確じゃないです(写真参照)。背骨をまっすぐにした時のオオサンショウウオの瞬間値は105㌢ありました。すぐに川に戻すと、悠々と泳ぎ、蒼い淵にオオサンショウウオは消えました。
 オオサンショウオは文化財であるとともに、絶滅危惧Ⅱ類(環境省レッドデータブック)。生息地は、岐阜県以西の本州、四国、九州の一部とされております。
 ところで、野生のオオサンショウオの最大全長や寿命は一体、どれくらいでしょうか。調べてみましたがさっぱりわかりません。飼育中のそれは150.5㌢。広島市安佐(あさ)動物公園で展示されているようです。飼育生体の最大値かとは思いますが私はまだ見ておりません。
 調査履歴のはっきりした日本最大の野生のオオサンショウウオの標準と最大の全長、体重、寿命などについて、正確な情報を知りたいんですが、いろいろ調べましたがどうもそのような情報は存在していないようでございます。全国のオオサンショウウオの生息地域で測定された相当数の記録が存在しないか、存在する或いは蓄積データはあるが分析が行われておらずわからないということでしょうか、さっぱりわかりません。
 フェノロサやシーボルトは仏像や動植物について日本人が気づかなかった視点からそれを評価し、国宝(特別天然記念物)や重要文化財(天然記念物)に指定され保存、管理、活用されていますね。オオサンショウウオなど生物もそうあってほしいと思います。しかし、動植物などはいったん指定されると基礎情報が集まりにくくなってしまう傾向があるんじゃないかと思います。文化財の指定にはそのような負の効果も引きずる側面もあると思います。「世界最大の両生類」、「日本の固有種」「絶滅危惧種」などなど心地よい言葉が蔓延するとますます規制に神経質になり、私たちがオオサンショウウオを発見しても慌てて放流してしまいますね。特に動物が天然記念物特に特別天然記念物などに指定されると、そうなってしまう傾向があるんじゃないかと思います。
 発見しても記録がなけば文化財の保存、管理、活用に活かせない。指定が逆効果になることがまったくないともいえません。展示に止まらず、その活用、保存、指定された個体を増やしていく環境づくりなどに私たちがどのように取り組めばよいのか、そんなことを自問自答してみることがあっても良いですね。絶やさない、すぐ放流しないといけない等々、教わることだけが指定の意義ではなくむしろ絶えないように増やしていくことに意義があるのではないかと私は考えます。絶滅しました、指定解除になりましたでは釈然としませんね。
特別天然記念物の絶滅に学ぶ(ニホンカワウソの場合)


 ニホンカワウソ絶滅の経験は、オオサンショウウオを野生環境の中で、いかにして保存し個体数を増やしていくかという課題を私たちに突きつけているように思います。
 12、3年前、宇和海東岸特に、三瓶(今の愛媛県西予市三瓶町)に旅したことがございました。須崎観音できこえた須崎岬の端に立つと目と鼻の先(北側)に毘理(びり)島が東西に横たわっています。この須崎、毘理島一帯がニホンカワウソの生息地となっていました。訪問はニホンカワウソの絶滅が宣言(指定)された年かその前年であったかと思います。
 宇和海の東岸はリアル式海岸が連続するところで高知から北上して愛南、宇和島の九島、三瓶から佐多岬までニホンカワウソは昔、そこここ(・・・・)にいて、別に珍しいとも何ともないと仰る三瓶の方がおられました。そこで三瓶の皆江集落を訪れお話を伺った次第です。「亥の子がくると子供らは隣村の枯井(かりい)まで夜、1㌔ほどの海岸際を「ごーりんさん」を背負って歩き、枯井の家の庭先でごーりんさんを衝きました。海岸線は岩場続き。ドボン(・・・)ドボン(・・・)とカワウソが海に飛び込む音を聞きながらが枯井まで行ったものでした。」(大正生まれの古老)。「皆江から三瓶の街まで8キロの海岸線を歩いて女学校に通っていたころ、帰りが遅くなると蔵貫浦(くらぬきうら)で「コボンさん(カワウソの言換え)が浜を歩いちょるのをよくみました。」(昭和5年生まれの古老)。「三瓶の友人宅で誕生日祝いがあって、夜遅くなってバイクで送ってもらい、さしかかった蔵貫浦で蓑傘を被った背丈は腰ほどもない小僧さんが道をよぎった姿が目に焼き付いています。」(戦後生まれの女性)等々、目撃談は伺った人の数ほどございました。カワウソはそれほど身近な存在であったと思います。野生のニホンカワウソは昭和50(1975)年に九島で保護されて以降、事例がありません。
 平成 24(2012)年)に環境省はニホンカワウソを 絶滅種 に指定しました。絶滅宣言と相前後して三瓶(周木町)に杖を曳いていたわけですね。 昭和40(1965)年に特別天然記念物に指定され、半世紀後にもう絶滅しているわけですよ、まったくそのはかなさに驚きました。もっとも絶滅を認めない自治体もあるようです。
 オオサンショウウオの行方もだいぶ心配しないといけない、遺伝子破壊という別の脅威も潜んでいるわけですからね。
 オオサンショウウオの寿命や飼育等について、シーボルトが残した情報はいまなお、一等資料のように思われます。
 シーボルトは全長70㌢ほどの野生のオオサンショウウオ2頭を本国のドイツに運び、オランダの動物園で1頭が51年間飼育された記録が残っています。野生の70㌢のオオサンショウウオの年齢を50年として飼育期間51年を加え寿命は100年以上とする説があります。
 しかし野生のオオサンショウウオが70㌢に成長するまでの期間をどなたか測定し成果が得ていますか、たぶんだれもいないでしょう。70㌢の野生期間の年齢評価をどうするかによって野生の寿命の評価が全然、変わってまいります。また飼育されたオオサンショウウオにも同じような問題がありますね。飼育されたオオサンショウウオの野生種への年齢換算の問題です。飼育期間51年を野生種では何年に換算(相当)するのか、その解明といいますか想定値を見出すこと、これも難しい課題だと思います。
 オオサンショウウオの寿命を10数年とおっしゃる方も、100年以上とおっしゃる方もおられます。シーボルト以降、まったくその方面の調査・研究が進んでいないように思われます。
 オオサンショウウオにチップを埋め込んだり、足にタグを付けるなどして野生の調査をしたり、逃亡防止の措置を講じた上、クローンを野生に戻して成長や寿命に係る調査研究をするとか、基礎研究の方法もいろいろあってもいいんじゃないかと思います。しかし、だれも検討すらしていないようにも思われます。 「捕獲したら放流する」の繰り返しではオオサンショウウオの平均的な寿命や全長などの意義のある論争が進みません。オオサンショウウオにとっても不幸なことと思います。基礎情報がわかるとその保存、管理、活用の適切化や増やしていくこともできるはずですね。野生のオオサンショウウオが良い環境の下で増えていけば文化財の指定解除も夢ではない。生息数をもっともっと増やしながら、「種」を保存しながら学習、展示、世界へのアッピール(紹介)などに活用していく、そのためにしかるべき者が課題を示し国民の合意を得つつ、法令改正など基礎情報を得る諸施策を提案することがまず、必要じゃないかと思います。
 釣りや川遊び、河川工事、水路の清掃などで偶然、オオサンショウウオを捕獲した場合、個体の体長、体重等基本情報を測定し、先ほど申し上げたように生体にチップを埋め込んで放流する。再度それが捕獲された場合にはチップデータを複写したうえ、また放流するなど工夫次第で、野生の平均的な寿命測定は50年、100年待たなくてもわかるようになると私は思っているんですよ。個体を体長別に仕分してチップを埋め込んで放流し、再捕獲時にまたチップ情報を記録保存する、繰り返し、繰り返し調査を重ねていけば2、30年のうちに答えが出ると思っているんです、どうでしょうかね。
 しかしね、オオサンショウウオは特別天然記念物でしょう、文化財ですから生体にチップを埋め込む行為は「現状変更の許可」が必要になりますよね。許可されますか、クローンではどうなりますか。絶滅しないよう増やしながら種の保存を図る観点からの様々の論議が必要と思います。
 由良川の中流域に所在する綾部でオオサンショウウオの発見事例が相次いでいることはすでに申し上げたとおりです。この現象は農家が除草剤の使用自粛や農薬使用の低減化に努力され、家庭雑排水の衛生処理に自治体が合併処理浄化槽の設置、普及に大変、努力されている。また、由良川の河川管理者が高水敷に水生園などを造成するなど水質浄化によい成果がでている結果じゃないかと思います。もう栗村井堰の貯水(池)がオオサンショウの営巣地になっている、と申し上げても笑い話にはならないかもしれません。これから一層、合併処理浄化槽の設置が進み、流域市町の汚水の衛生処理率が90㌫を越えるようなことになればオオサンショウウオの棲家はもっともっとひろがるバズです。定説が覆る。そんなことも期待できますからね。「位田浦(いでんうら)。高城館裏の言換え」などは、「オオサンショウウオの棲む山紫水明の由良川&綾部」のキャッチコピーができるわけですけれどもね、どうでしょうか。
 それからいま、悲しいことにチュウゴクオオサンショウウオの移入によって固有種たるオオサンショウウオの遺伝子汚染が京都などで問題になっております。賀茂(かも)川ではほぼ100㌫、チュウゴクオオサンショウウオに置き変わった、そういわれているでしょう。これは大問題ですよ。遺伝子汚染の速度が早すぎます。もっともチュウゴクオオサンショウウオも絶滅危惧種にリストアップされておりますので両種が混同されオオサンショウウオが食べられてしまうことはないと思いますが、由良川、安曇川(滋賀)など丹波や比良山系へのチュウゴクオオサンショウウオの侵入防御の検討がまず必要じゃないかと思います。
 オオサンショウウオは特別天然記念物として指定されてから74年たちまた、指定後の生息数やその解除の可能性等を探るためにも、確かな野生個体の調査をやって実態を明らかにしてもらいたいですね。規制だけではオオサンショウウオが滅んだり、賀茂川のようにチュウゴクオオサンショウウオに置き変わることだってあるかもしれないでしょう。由良川ではどうか、紀ノ川ではどうか、その他の川ではどうか、よっぽど気にしていないとチュウゴクオオサンショウウオに置き変わってしまう。オオサンショウウオの遺伝子破壊はいったん進行しはじめるととまらない、だれもがそのような危機感を持っていいんじゃないかと思います。
 彫刻や建物、絵巻物など多くの国宝がそうであるように、特別天然記念物のオオサンショウウオについても絶滅させないために、何度も言いますが捕獲したら放流だけではない新たな調査研究や保存措置を講ずべきことは日本の義務と思いたいですね。オオサンショウウオは日本の固有種、世界最大の両生類、生きた化石生物でしょう、大切にしたいですね。
オオサンショウウオの食の記憶
  オオサンショウオは割くと山椒の香りがする、食味が良い、子供の疳の虫に効く、半殺しにしても死なない、その希少性が加わってさまざまの伝説が各地にございます。特に中国山地は、日本のオオサンショウウオのメッカ。オオサンショウウオの生息地はいうまでもなく、神社の祭神となり、説話をうみ、峡谷に生息地の看板がかかり、展示施設も各所にあり、まさに中国山地はそのメッカです。
 岡山県真庭市に(はんざき)大明神というのがあってオオサンショウウオが祀られております。小説「山椒魚」を書いた井伏鱒二は広島(福山市加茂町)の出身。教科書にも載りましたから、子供たちのオオサンショウウオの入門書でもあります。広島市安佐動物公園にはいま日本最大のオオサンショウオウウオが飼育展示されているとききます。
 綾部市は中国山地の東端。オオサンショウウオがいても不思議ではないし発見事例が相ついでおります。
 オオサンショウウオが文化財に指定されていなかった頃、オオサンショウウオは食料として貴重なものでしたし、漢方でもありました。「汁はスッポンより美味いで」とおっしゃる方もいらっしゃった。
 オオサンショウウオ(種)が特別天然記念物に指定されて今年で74年になりますね。もはや食べることも、許可なく捕獲、飼育することもできなくなりました。同時にオオサンショウウオの食味について語る人はもうほとんどいなくなりました。
 北大路魯山人(ろさんじん)は著名人を招いて試食会などを何回かやっております。4回ぐらいかな。西日本産とみられるオオサンショウウオを複数頭づつ準備し、解体から煮物やスープが出来上がるまで事細かに紹介した本が出てございます。それによりますと、オオサンショウウオを割いて、ぐつぐつ煮込むと部屋中に山椒の香りがたちこめたこと、煮ものを翌日までとっておくと山椒の匂いは消え、味は一層おいしくなる、腹のぶよぶよした部位がとりわけ美味しい、スープはスッポンに勝る、試食会ではお客がおかわりをするほど好評だったこと等々…魯山人のお弟子さんが大変、興味深い情報を提供されております。  —令和6年4月—