兵庫
メリケン波止場−神戸市−
メリケン波止場 神戸市元町の繁華街をメリケンロードに沿って下ると、メリケン波止場。
 長さ18メートル、幅11メートルのささやかな波止場は、はじめ神戸港第3波止場(後に第2波止場)と呼ばれたが、波止場近くにアメリカ領事館(今の郵船ビルの地。写真左下)があり、訛ってメリケン波止場と通称されるようになった。波止場は、神戸開港の象徴であるとともに、明治維新のモニュメントであることを内外に示した。
 神戸は京都に近く、横浜、長崎、函館が開港されても追随しなかった。神戸開港は幕末外交史上の最難問とされ、慶応3(1867)年、ようやく神戸開港が勅許され、外国人居留地が設定されることとなったのである。翌明治元(1868)年、運上所(神戸税関の前身)において、東久邇道禧参与とアメリカ、イギリス等欧米先進諸国の公使との会談が行われ、参与は諸国に天皇親政を通告し国書を手交した。以降、メリケン波止場は、明治、大正期の神戸港の中心となり、エキゾチックな国際都市の雰囲気を醸しだすようになったのである。
 平成7(1995)年1月17日午前5時46分、兵庫県南部地方を襲った阪神淡路大震災は、メリケン波止場を直撃した。大きく傾き海側に倒れた岸壁は今、老体を海中に投げ出し、公園を訪れる内外の観光客にその輝かしい歴史とともに震災の爪跡と復興を告げている。−平成20年1月−

郵船ビル メリケンロード
 明治末期のメリケン波止場(神戸港震災
 メモリアルパーク説明板から引用)