鹿児島市内から国道10号線を国分方面に向かい「滝の神トンネル」を抜けると、すぐ右手にくすんだ赤い洋館がみえる。背後の海は錦江湾。その向こうに桜島が姿よく収まっている。
桜島と洋館。なんとなくミスマッチのようにも思うが、近くに異人館と同時代に造られた石造りの紡績工場(現「尚古館」)がある。トンネル近くの道路わきの高みから一帯を眺めると、ヨーロッパの風情が漂ういい風景がある。
実はこの洋館、紡績工場の技術者として招かれたイギリス人が居住したいわばアパートであるが、薩摩の幕末を凝縮したような光と影が交錯する記念碑としても貴重であろう。生麦事件でイギリス人を殺傷した薩摩藩は、報復戦となった薩英戦争によってほとんど交戦すらできないまま敗れ、西欧文明の実力を知るやすぐに紡績工場を建て、イギリスの機械を買付け、技術者を招き、綿布の大量生産に着手し日本の工業の近代化に先鞭をつけたのである。薩摩藩のこの変わり身の早さは、本土の最南端にあってヨーロッパなどの諸情報が得やすかった地の利からであろうが、奇しくも日本産業の近代化の原動力として大いに貢献することになったのである。 |