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福岡 |
早良の王国(吉竹高木遺跡等)−福岡市西区吉武等− |
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福岡市の西区に吉武という地区がある。室見川の左岸に開けた地区であるが、まだ水田が残っており、田園の情緒が漂う自然豊かなところである。地区の西にビュートの飯盛山(標高382b)が秀麗な姿を天空に映している。
吉武地区の高木から鏡、銅剣、銅戈、銅矛、玉類等の豊富な副葬品(写真上)を伴う38基の甕棺墓や木棺墓が発掘されてから20年になる。木棺墓のひとつからは、多紐細文鏡1、銅剣2、銅戈1、銅矛1、玉類が出土した。後に王権のシンボルとなる鏡、剣、玉がセットで発見され大いに注目を集めた。伊都国の三雲南小路遺跡、奴国の須玖岡本遺跡に匹敵する弥生中期の王墓とみられる遺跡の発見だった。加えて、遺跡の南から東西(梁行き)9.6メートル、南北(桁行き)12.6メートルという我が国最古の巨大な弥生の遺構(写真左中段)が発
掘された。いま遺跡は、すべて埋め戻され遺構ならびに王墓は静かな眠りについている。後年の研究にゆだねるという姿勢が貫かれたのである。遺跡の南には吉武大石遺跡がある。柄の付いた実用的な銅剣等が出土した遺跡。実に驚くべき貴重な遺跡がさりげなくある。
吉武高木から室見川に沿って降ると、野方遺跡(写真左下)がある。この遺跡もまた板付遺跡と同様に弥生中期の環濠をもつ遺跡。野外に環濠等が復元され、住居跡には覆屋がかけられ資料館になっている。室見川の西方の拾六町ツイジ遺跡は弥生時代前期から古墳時代にかけての複合遺跡。数千点におよぶ木製農耕具の出土地として知られた遺跡である。鋤、又鍬、平鍬、堅杵など出土の木製農具は、鋤、鍬の主体部の先端が鉄で被われるようになり、やがて主体部の全体が鉄に遷移したにせよ、二千年を経てもその形状と用途は何の変化も生じていない。改めて稲作の保守性を思わざるをえない。
室見川の流域は、早良国ともいうべき古代国家の存在を暗示させる地域。田園に浸り、遺跡をめぐるのもよいだろう。−平成17年12月− |
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