九州絶佳選
福岡
大和町のイメージ-山門郡大和町中島等-
 有明海の北東岸に大和という町がある。矢部川の右岸の町。大相撲の土俵入りの「雲龍形」の創始者雲龍久吉の故郷である。雲龍の館で功績が顕彰されている。矢部川の築堤の功労者田尻惣馬の旧居跡もこの町
にある。
 神功皇后の神話などが残る古色に包まれた町であるが、町の南部に干拓地が完工したのは今から33年前(昭和47年)だった。干拓地の周りは幅50メートル、高さ7メートル余の堤防が延々、5キロメートル余り続く。有明海の干満差は驚くほど大きく、満潮時には天井川ならぬ天井海となる大海をこの巨大な堤防が支えている。技術はオランダから移入されたという。河口に干拓記念碑(写真右下)が建っている。
 矢部川の水路のところどころに、大きな水門が設けられている。水門の開閉が干拓農業の命運を左右する。洪水時には、日に2回訪れる干潮を待って水門を開け水位を下げ、高潮時に水門を閉め塩害を防ぐ処方である。この操作によって干拓農地は一定の水位が保たれる。クリーク地帯の取水は揚水機場ができると、満潮時に水車でアオ(淡水)を汲む重労働から開放されるようになったのである。
 国道208号線が貫通する中島地区は、大きな店構えの商家が連たんするところ(写真上)。朝市通りは、市民の台所。鮮魚店、食肉店、八百屋などが密集している。店先で吊るし柿が秋の陽を浴びている。上から見ると棟がコの字形をしたクド造りの民家なども民芸的で大変美しいものである。−平成17年11月−


カササギのこと
 干拓地のクリークは実に美しい水辺を創出している。カラスより少し小さなカササギの生息密度もずいぶん高いように思われる。カササギは高麗こうげカラス或いはカチ鳥と呼ばれている。カチは朝鮮語のカラスである。魏志倭人伝に、倭国の風俗習慣や産物に触れ、「・・・牛、馬、虎、豹、カササギ無し」としるされており、もともと日本には生息していなかった鳥。朝鮮の役のさい立花宗茂が持ち帰ったものともいわれる。
 カササギは日本では北部九州にのみ生息する希少種であるが、大和町辺りではごくありふれた鳥。白黒の艶のあるツートンカラーの清楚な姿で、水辺を飛ぶ姿は実に感じがよいものだ。
 山門郡柳川で生まれ育った北原白秋は、しばしばカササギを詠っている。
 「・・・鵲のしろき下羽根、月の夜と移る空なり。・・・童みな鵲を追い、鵲と影をうしなふ。」<「鵲」より>
 九州のカササギの生息地は、背振山地といわれる。しかし、福岡の筑紫野でも甘木でも太宰府でも柳川でも、佐賀市内でも畑地で或いは住宅街の空き地などでよく見かける鳥である。特に水辺を好むようであり、運河地帯や河川敷辺りの電線などにとまっている姿をよく見かける。繁殖地は山林と思いきや市街地の電柱などに巣をかけていることもある。餌場があれば近くに巣を作る合理的な習性はカラスに似ているのかもしれない。
 私は九州以外の土地でカササギを見たことがない。九州でも鹿児島や宮崎、大分でも見たことがない。やっぱりこの鳥は、多少移動するにしても脊振山地のどこかに惹かれて着かず離れず生きてきた鳥なのだろう。−平成17年−
大和町にて 甘木市にて