九州絶佳選
福岡
八女の町並み−八女市福島かいわい−
 八女は、八女丘陵と矢部川にはぐくまれた町。町の北部に八女丘陵が横たわる。ヤマト王権に抗した筑紫君磐井が眠る丘陵である。町の南部を流れる矢部川は、有明海に注ぐ川。筑後川の少し南側を流れる河川である。
 八女は、三方を山や川で囲まれた要害の地。筑紫君磐井が北部九州に勢力をもち、大陸に雄飛し、ヤマト王権に抗するほど強大な力を蓄え得たのもこうした地の利によるところも大いにあったのだろう。
 9月23日から3日間、八女の福島八幡宮で「放生会」の例祭が催された。福島地区の商店、民家の軒周りに紅白の幕が張られ、提灯が吊るされ、町並みの古色をいっそう際だたせている。放生会の期間中、併せて町屋祭りが催され、街角で或いは商家の店頭で陣太鼓や風楽舞、茶席、職人技の実演などさまざまな催しがあった。
 八女は、近世においては、天正年間に筑紫広門、慶長年間に柳川藩主田中吉政の次男忠正が福島城主となったが、間もなく改易により廃城となった。城下町の風はそのころに芽生えたといわれる。入母屋二階建て、往還沿いに建ち並ぶ白壁漆喰造りのどっしりとした町屋一色の町並みは、八女がこの地方の物資の集散地として栄えた証。武家屋敷などがなく町屋の勢いが感じられるところである。
 藩主田中氏の改易が幸いして、町人文化が花開いたというべきか。八女福島の燈籠人形の隆盛などは、そうした文化の集大成のようなものなのだろう。放生会の期間中、毎日福島八幡宮で上演される燈籠人形は、浄瑠璃の囃子で地唄を唄い、それにあわせてからくり人形が動くのであるが、その舞台といい人形つかいといい特異なものである。高さ8b、幅14bもある舞台は、すべて組立式である。舞台の一層目が下づかい場(舞台の下で人形を操るところ)になっていてこの部分はいわば縁下部分と考えられているのか、階数に数えられていないようである。舞台は、三階建てのように見えるが二階建て。伝統工芸の福島仏壇の技術が舞台の組立に活かされているという。舞台を飾る燈籠もまた、八女の特産品である提灯の振興に大いにかかわっているという。芸題は4題ほどあって毎年、順次、替えられる。今年は玉藻之前。難度の高いからくり技術が要求される「送り渡し」や「素抜」(衣装の早変わり)などの見せ場もあり会場は大いに沸いた。午後から、日に4回の公演があった。−平成17年9月− 
燈籠人形舞台遠景 燈籠人形舞台