九州絶佳選
福岡
相島−新宮町−
 相島は玄界灘に浮かぶ周囲6.1キロメートル、人口430人ほどの島。絶海の孤島というイメージはなく、九州本土まで7.3キロメートルと近く、新宮漁港から渡船で20分ほど。島は東西に長く、島の南側に漁港、集落が開けている。
  ごく普通にみえるこの島は、江戸時代にわが国と唯一国交のあった朝鮮の通信使の定宿(客殿)が置かれた島だった。通信使は都合12回の往来しているが、うち11回相島に立ち寄り、黒田藩が饗応している。使節団の総員は500名ほどにもなり、風待ちで最長23日間も停泊した記録もある。饗応の食膳には、広島の鯛、長崎の豚、大島の伊勢えびなどが取り寄せられる念の入れようであった。来朝のたびに立て替えられた客館の敷地は100メートル余四方に及ぶ壮大なものだった。通信使が着岸した先波止の北側が館跡。神宮寺のご住職に館跡を尋ねが、今は畑になっていてよすがをしのばせるものはなにもなく、かえって世の移ろいの刹那を思わせる。
 古くは阿倍島と呼ばれることもあった相島。相島は、大陸、筑紫へあるいは唐津、長崎へ向かう船人が立ち寄ることもあった海上交通の要衝の島。島のあちこちに古跡が残る。
あべのしま鵜の住む石に寄る波の まなくこのころやまとしおほゆ
                            <山辺赤人
 島の北部にある太閤潮井の石は、文禄、慶長の役で秀吉に朝鮮出兵を命じられた諸国の軍船が穴観音に参拝の折、献じた石。小山を成している。島の西部の山中に残る石垣は異国船監視のため設けられた遠見番所跡。跡地付近に灯台が建つ。島の東部海岸は、小石大石で埋まった荒涼とした海岸。5〜7世紀に築造された積石塚古墳(写真下)が250基、累々と海岸に連なっている。その南側は高い断崖を成し、底部に海蝕洞(写真左)が発達している。断崖上で、風成林が季節風の姿して岩肌にへばりつき、その向こうに名勝・めがね岩(写真左)がそそり立つ。海岸のところどころで、玄武岩が露出し、柱状節理の奇観を呈している。
 相島は、山の自然もまた豊かである。トベラ、ネムノキ、ウバメガシ、センダンなどが茂り、クロアゲハなどが飛び交う。外周道路を歩かれるとよい。玄界灘は魚の宝庫。6月はイカの旬。港近くの食堂・丸山でケンサキイカの刺身を食す。-平成17年6月-

相島漁港

相島漁港

朝鮮通信使客館跡

太閤潮井石

遠見番所跡

柱状節理岩の海岸