九州絶佳選
福岡
装飾古墳(竹原古墳)−若宮町竹原−
装飾古墳(現地の案内板から)
 遠賀川の支流・黒丸川の左岸に竹原装飾古墳がある。横穴式石室をもつ直径約18b、高さ5bの円墳。
 古墳は福岡県若宮町の西山(標高645メートル)に源を発する黒丸川に沿う丘陵の先端部に近いところに立地し、諏訪神社の境内地にある。犬鳴川流域を支配地とした豪族の墳墓であろう。
 日本の600余りの装飾古墳の半分以上は熊本、佐賀、大分、福岡の北部九州に集中し、筑後川、遠賀川の流域に分布する。竹原古墳は壁画(写真上。現地の案内板から)でよく知られた古墳。築造年代は6世紀後半とされ、装飾古墳の終末期に当たる。
 古墳の傍に案内所があり、受付で申し込むと古墳内部を見学することができる。身をかがめて古墳内部に潜り込み、羨道部に設けられた見学用のガラス窓越しに石室内部が見えるようになっている。前室の側壁の左右に朱雀、玄武が黒と丹で描かれ、玄室の正面奥壁に壁画が描かれている。壁画は約1メートル四方。波形紋の左右にさしば(翳。日除け用のうちわのようなもの)が立ち、美豆良みずらに冠帽をかぶり靴をはき馬を牽く人、壁面の左側の上部や馬の下に船、その右横に三角連続文、壁面最上部の中央に龍の絵などが描かれ、電灯に浮かびあがっている。色彩もよく残り、厳かさがある。数多い九州の装飾古墳中の白眉といわれる。
 この竹原装飾古墳の壁画について、中国の古代四神信仰(動物神が四方を守るという信仰)や龍媒信仰(龍の種を得て駿馬を得るという信仰)を反映したもの、船は朝鮮半島から馬を搬送した様子を描いたもの、葬送儀礼を描いたもの等々、諸説がある。
 古墳の壁面に描かれた風物、文様等は、波形紋は冥界を示すもの、構造船のようにみえる船は玄海灘を越え朝鮮半島から銅、鉄の地金やガラス、さしばなどの舶来品を運ぶ船、馬は財宝を港から当地に運搬するものであろうか。壁画は全体としてそのような部族の繁栄が永劫に続くようにと祈ったものではないだろうか。龍などを描いた四神信仰は、白虎が欠けていたり配置が間違っているので四神信仰の情報は存在したものの信仰としては未だ定着していなかったのかもしれない。
 馬を牽く人の構図は北魏の石刻画象(写真下)に酷似する。かつ馬を牽く人物の服装につき、窄袖の丈の短い着物と太い袴を着て袴に結脚する胡服姿は特に倭人には印象的に映ったに違いない。馬面が龍面に描かれるのも北魏の石刻画象と同じであり違和感がない。
 それにしても、四神信仰や龍媒信仰などにみる大陸文化の香りは一体何を示唆しているのであろうか。高松塚のはるか以前に、こうした大陸の文化に接した者の墳墓(壁画)がシイの花咲くのんびりとした竹原の里に存在する事実を前にして、当地を含め筑紫、豊、肥の国をも勢力下においた磐井の君の事を思わずにはいられない。この墳墓の被葬者は、壁画を単なるまじないとして描かせたのではなく、磐井の勢力圏下で実際に交易に従事し朝鮮半島或いは中国に往来し、彼の地の霊界を見聞した者であったのだろう。−平成17年−
竹原古墳をのぞむ 竹原古墳から平野を望む
北魏石刻画象(生光2(521)年在銘)