九州絶佳選
福岡
戒壇院−太宰府市−
 春のころ大宰府を歩くと、観世音寺や戒壇院の門前に咲く菜の花のよい香りが古刹の幽愁を包んでいる。戦前、日本一の収穫量のあった筑紫路の菜種は今、ほとんど栽培されなくなった。戒壇院周りの菜の花は、そうした筑紫路の名残花でもあるのだろう。
 観世音寺の戒壇が設置されたのは天平宝字5年(761年)。天平勝宝6年(754年)、奈良・東大寺の大仏殿宝前に戒壇を設け、鑑真を導師にして聖武上皇らが受戒してから7年後であった。筑紫の観世音寺の戒壇は、東大寺と下野(栃木県)の薬師寺の戒壇とともに日本三戒壇を成し、九州で僧侶となるべき者はみなこの戒壇で受戒したのである。
 しかし、天正15年(1587)、九州遠征で大宰府に入った豊臣秀吉は、観世音寺の寺禄を収奪してしまう。自らが天下人となることを欲した者には、旧来の権威は目障りに映ったのであろう。寺はさびれたが、江戸時代以降、戒壇院は、観世音寺から別れて博多の禅寺諸寺によって護持された。今は博多の大刹・聖福寺(臨済宗)に属している。
 中門の向かって右手に、二つに折れ、「不許葷酒肉入境内」と彫られた禁断の石柱がある。中門をくぐると左手に五輪塔や宝篋印塔、板碑の残欠に混じって元禄の頃、観世音寺と戒壇院の再興に尽力した博多商人・了夢の供養塔がある。朽ち果てた五輪塔や板碑などにもこの寺の長い歴史がある。本堂に戒壇があり、本尊は盧遮那佛。
禁断碑 本殿
石造群