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福岡 |
福岡城址(舞鶴公園)−福岡市− |
福岡城址公園(舞鶴公園)は、春の桜、夏の蓮など季節季節の便りを届けてくれる公園。総面積は80万平方メートルもある。
城は慶長年間に黒田長政によって築かれた。全国屈指の規模を誇る城址がそっくり公園化され、四季を通じて人出が絶えることはない。
城内の平和台球場の南側に鴻臚館址がある。
西暦663年、白村江の戦いで唐新羅の連合軍に敗退した日本は、追撃を恐れ那ノ津官家(大宰府の前身)を御笠川の河口から内陸部に下げ、新しく大宰府を造営した。
大宰府は、九州統治と外交を司る官衙。博多湾の入江近くには舘(筑紫の 館 。後に中国風の鴻臚館の名でよばれた。)が設けられ、外国使節の応接を行い、遣唐使などの宿泊使節としても使用された。交易で来日する新羅商人などは大宰府へ入ることが許されなかったため、筑紫の舘が交易の場になった。舘には「交易唐物使」が置かれた。交易品は、官が買取りの優先権を持ち、残ったものを民間で売買するシステムだった。博多商人の淵源もこの筑紫の館に見出すことができるのだ。後に貿易管理権が大宰府に移され、鴻臚館を舞台にして私腹を肥やす不埒者が現れるようになる。
鴻臚館の発掘調査が進められており、幾棟かの建物址(写真下)が確認されている。平和台球場入口近くに、旅の途中、鴻臚館に滞在した遣新羅使の万葉歌碑(今よりは 秋づきぬらしあしひきの 山松かげに ひぐらし鳴きぬ)が建っている。−平成17年−
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名島門 |
鴻臚館址 |
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