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福岡 |
櫛田神社−福岡市上川端町− |
博多の上川端町に「櫛田神社」という古社がある。創建は天平宝字元年(757年)と伝えられ1250年の歴史のある社。祭神は中殿の大幡主大神など三柱。右殿の祇園社は、天慶4年(941年)、藤原純友の乱の平定のため筑紫入りした山陽道追捕使・小野好古が戦勝を祈願して京都祇園社から勧請した鎮守。好古軍は、博多湾の海戦で純友軍の軍船800余艘をだ捕し、壊滅的打撃を与え、伊予へ退却した純友は斬られ滅した。
社殿の周りは、楼門に架かる「えと恵方盤」や本殿の唐破風の向拝の左右に掛けられた風神、雷神獅子の木彫、或いは拝殿脇の青銅の鶴などがこの社の古色を清々しく飾っている。
境内には、本殿後方に小社が建ち並び、楼門脇で樹齢千年の博多一のぎなん(銀杏)の大樹が聳え、樹下に元寇の蒙古軍船の碇石(二丁)が往古を語る。裏参道の傍らに博多塀(写真右)、折節に奉献された種々の記念石、歴代横綱が奉献した力石或いは博多山笠の飾り山が境内に展示されている。博多塀は、天正年間に隆盛を極めた博多商人島井宗室の屋敷跡に回らされていたもの。四散寸前になっていたが、昭和45年に境内に移設された。境内に建つ「櫛田神社境塀之碑」の石文によれば、往時は櫛田神社に145間(360b余)の土塀が廻っていたという。今では御供所町の聖福寺の土塀に博多塀のよすがを僅かに留めるのみである。
櫛田神社は、博多祇園山笠、博多どんたく、博多おくんち、ぎなん(銀杏)祭りなど博多の四季を彩る祭りが奉納される博多の総鎮守である。 |
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雷神(櫛田神社) |
風神(櫛田神社) |
櫛田神社の銀杏 |
蒙古軍碇石(櫛田神社) |
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