竹ヶ島称揚-宍喰町-
竹ヶ島  阿波の最南端、竹ヶ島は黒潮に育まれた島。新竹ヶ島橋が本土と島とをつないでいる。
  島の西海域では、サンゴのミドリイシ属、シコロサンゴ、キクメイシなどが生育している。磯周りを回遊する魚は、ソラスズメダイ、オヤビッチャ、チョウチョウウオなどの熱帯魚である。
  海岸線に累々と連なる蜘蛛の巣状の海蝕岩は、太古の記憶。島に茂る温帯林は、こもれ陽の森。遊歩道が周回し、樹間にちぎれ小島が移ろう。島の頂上に狼煙台跡をとどめている。
  島の周囲は概ね断崖である。島の北側に僅かに平地がひらける。浜で干すエビ網が淡い冬の光のなかでかすかに揺れている。波止場から団体客を乗せた遊覧船がすべりだしてゆく。海中公園の遊覧である。
大浜海岸-日和佐市-
 日和佐の海岸は海岸線の美しいところ。大浜海岸の砂浜が美しい弧線を描いている。
 砂浜の北海岸は、太平洋の波浪に洗われ、巨大なちぎれ岩(写真右)や海蝕洞(恵比寿洞)がある。
大浜海岸は,、アカウミガメをはぐくむ海。毎年5〜8月にかけ500メートルほどの砂浜にウミガメが産卵に上陸する。湾奥の砂浜は、太平洋岸の安楽地であるのだろう。海岸にウミガメ博物館がある。
  大浜海岸の入口の手前に日和佐八幡神社がある。境内にクスなどの暖地性樹木が茂り、海岸近くの神社らしさを感じる社である。クスの巨木は見事なものである。
椿泊-阿南市椿泊町-
  阿南市の南に東西に長く延びる椿半島がある。半島はワニの頭のような形をして、口を紀伊水道に開いている。口の部分は橘湾。上あごの先端部に燧崎灯台、下あごの先端に四国最東端の蒲生田岬灯台が建っている。
  橘湾は青く美しい。養殖筏が浮かんでいる。沖に伊島が浮かび、蒲生田岬との間に「橘杭の瀬」を生み、岩礁が転々と頭をもたげる。
  慶応4年(明治元年)、伊島沖の阿波沖海戦で傷ついた薩摩の軍艦・翔鳳丸が椿の漁船に導かれ橘杭の瀬を通り由岐に逃れ、幕府軍の攻撃を免れた要害の瀬である。
  橘湾の北に、椿泊の集落が海岸線に沿って所在する。背後に山が迫る狭い空間に民家が軒を連ね、屋根と屋根の間隙を通る道が東西に貫く。街路を行くと、道明寺の裏山に阿波水軍を率いた森家累代の墓所がある。五輪塔は、代を重ねるごとに大きく立派なものに変化していく様子がみてとれる。街路の突き当たりに森氏の居館・松鶴城址があり、跡地に今は小学校が建っている。
  椿泊の集落を歩くと、この地区では木造瓦葺の総2階建ての民家が一般的であるが、1」階と2階部分に欄干を備えた住宅が随分多い。「土地が狭いけん2階建てにして床面積を増やします。土地柄です。」と土地の人。欄干の経緯は定かでないが、海洋を生活の場としてきた椿泊の人々。日本各地に雄飛して、特有の建築様式が合成されたのだろう。史跡あり、町通りあり、椿泊はよいところである。